日かげの芝生


ぼくは、日のあたらない、湿った土にはえている芝生です。 春から夏のあいだは、太陽の光に恵まれるけど、一年の半分以上は日かげで過ごしている。 そのうえ、水はけがとても悪いので、こけがどんどんふえてきて、息をするのも苦しい。ぼくは、ほとんど死にかけている。

ぼくの主人夫婦は、夏にのびた雑草を刈り取るだけで、冬はほとんどぼくのめんどうをみてくれない。せいぜい近くに住む猫がぼくの上を通るくらいだ。 奥さんは、ふだん、ベランダに出て洗濯物をほしているときも、ぼくをじっくり見ようともしない。 ぼくはさびしい。

となりは日あたりがいいので、芝生はすばらしい緑色をしている。 となりのご主人は、芝生の手入れをするのが大好きな人らしく、いつも庭にでては、芝生に話かけている。そんなようすを見ていると、ぼくはたまらなくうらやましくなる。

ところが、秋のある日のこと、ぼくの主人夫婦が庭に出てきて、ぼくを見まわしながら、何か話している。 そのうちに、奥さんが紙を手にしながら、ご主人に何かいっている。ご主人も、ぼくをゆびさしながら、うなずいている。 どうしたんだろう? ぼくは、そのうち何か大きな事件がおこりそうな予感がした。

それから、しばらく雨がふりつづき、二人は庭に出てこなくなった。 そして、ようやく雨があがったある日のこと、二人はメジャーをもって、庭のすみずみをはかっている。

いつのまにかベランダのすみには、小石や砂利、砂など、それぞれがつまったふくろ、さらに、タイルやレンガがうずたかくつまれている。

二人は、こけで占領されてしまっているぼくを、ほりおこしはじめた。そこには、二人でやっと持ち上げられる大きながれき、いろいろな色の小石がいっぱいうめられていた。二人は、もくもくとそれらをとりのぞいたり、地面をはっている雑草をていねいにぬいている。そのあと、板を土の上において、二人はその上をふんでいる。でこぼこになった土を平らになるように整地しているのだ。 “さあ、下地づくりは終わったぞ!”と、ご主人はガッツポーズをしている。 “ちょっとひと休みをしましょ!”と、おくさんは家の中に入っていった。 やがて二人はお茶をのみながら、ぼくのことを話し合っている。 ぼくは、なんだかうきうきしてきた。 こんな気持ちになったのは、はじめてだ。

二人は、この2ヶ月ほど、休日になると夢中で、庭しごとをした。整地した土の上に大きな広いシートをしいている。これは、雑草をはえにくくするためのものらしい。その上に小石をしきつめて、まわりをレンガでしきった。また、ほかのところには、四角いタイルをしいた。 今まで庭いちめんが芝生だったぼくは、あるところは小石でできた小道になり、あるところはパティオになり、またあるところは花だんになった。

庭仕事が完成したとき、ぼくは小さくなったけれど、庭はすっかり生まれ変わった。

となりの夫婦もびっくりして、 “やあ、きれいになりましたね。”と、感心している。 二階にすんでいる奥さんも、ベランダから身をのりだすようにして、 “まるでアートじゃない、かっこいい!”と、ほめてくれるので、奥さんは、ごきげんだ。

春にはまだ早いある日のこと、ぼくのそばに、小さな芽があちこちにあらわれた。 “クロッカス?”ぼくは、小さくつぶやいた。ひとつの芽が、 “そうよ!”と、こたえると、あちらこちらで、“そうよ!”“そうよ!”と、コーラスしているようだ。

何日かしたら、クロッカスが花を咲かせるだろう。ぼくは、その日のことを想像すると、うれしくて涙があふれた。

ぼくはずっと不幸だと思っていた。長い間、誰からも相手にされなくて暗い気分のままだった。二人にどんな心境の変化があったか知らないけれど、ぼくは今すごくしあわせだ。二人のおかげで、ぼくは形だけではなく気持ちまでも変わった。

ぼくは、ここが大好きだ。