大木遠吉 1871〜1926(明治4〜大正15)   享年56才。 紙本 144.5×44.2cm

 雅号を「天籟」「巳堂」などと称した。「天籟逸史」の下に陰刻印「大木遠」と陽刻印「天籟」の落款印を押す。南宋の詩人于石の「西湖」と題する七言律詩「西湖【月+生】概甲東南。満眼繁準今几年。鐘鼓相聞南北寺。笙歌不断往来船。山圍花柳春風地。水浸楼台夜月天。士女只知游賞楽。誰能軫念及三辺。」の第五句と第六句「山圍花柳春風地。水浸楼台夜月天」に拠っている。西湖は三方を緑豊かな山に囲まれた中国浙江省杭州市の代表的な景勝地。折しも早春の湖面上空に満月が昇っている。山水・風月・地天を対比してその美を詠じたのが本軸の二句である。
 大木遠吉は、大正12年2月11日「大東文化協会」創立時の初代会頭で、今日の大東文化大学の前身である大東文化学院の設立に関わった中心的人物の一人である。
 貴族院議員。第19代原敬内閣(大正7年9月29日成立)の司法大臣(ただし就任は大正9年5月.15日)。第20代高橋是清内閣(大正10年11月13日成立)の司法大臣。第21代加藤友三郎内閣(大正11年6月12日成立)の鉄道大臣などを歴任する。

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