当ページの画像・テキスト等を Webサイトや印刷媒体へ転載・転用することを禁じます。 

小川平吉 書・画

小川平吉 (明治2−昭和17  1869−1942)  享年74才。 絹本緞子表装 214p×51p

      「一枝先開天下春/乙亥春日 射山并題

 署名に「射山并題」とあり書・画ともに小川平吉の真筆。また「乙亥春日」から昭和10年(1935)春、数え年67歳の時の揮毫である。小川は当時、五私鉄疑獄事件に絡んで係争中で、8月に「乙亥八月大山絶巓に登る」と題した七言律詩に「払はんと欲す胸中鬱屈の愁」と詠じている。しかし、翌昭和11年(1936)9月の大審院判決は懲役2年及び追徴金19万2000円というものであった。
 この書画は、その判決7、8か月前の作品になる。揮毫の句「一枝先開天下春」は、判決を前にして、厳しい冬を耐えて真っ先に開花した新春の梅花に無罪を信じたい小川の心境を託しての染筆であったろうか。「射山」は号。落款印に陰刻印「小川平吉」を押す。

 小川平吉は長野生まれ。1923年大東文化協会(大東文化大学の母体)の創設に関わり、大東文化協会4代会頭。加藤高明内閣(大14.2.9  司法大臣)。田中義一内閣(昭2.4.20  鉄道大臣)などを歴任した。