紫式部石山寺参籠の図  冷泉為恭(ためちか)
文政6年〜元治元年(1823-1864) 42歳 江戸時代後期 絹本・着色  101×40p 

 画面は、石山寺に1週間参籠して本尊如意輪観音菩薩に物語創作の祈願をしたところ、寛弘元年(1004年)八月十五夜の名月が対岸の金勝山より昇って眼下の瀬田川に映り、その風情を眺めて起筆したのが『源氏物語』須磨、明石の二帖である、との伝承によったもの。水量豊かな瀬田川の川面の上空に八月十五夜の秋月が昇っている。後世紫式部が参籠した部屋を石山寺では「紫式部源氏の間」と称するようになり、現在の石山寺には紫式部に見立てた人形も置かれているが、そこから眼下に瀬田川を臨むことなど不可能であることは記すまでもないことである。

 冷泉為恭は、幕末の京都で出生した。岡田為恭、狩野為恭、冷泉三郎為恭、菅原為恭、号:松殿 などの名号がある。狩野永泰の息男。狩野第9代目の狩野永岳は叔父に当たる。江戸時代末期に活躍した復古大和絵の代表絵師。意欲的な模写研究が勤皇浪士の疑惑を買って佐幕派と誤解され、逃避行の末に1864年、斬殺された。
 1858年、松平・徳川家の菩提寺である大樹寺本堂の大方丈障壁画など145面を4ヵ月間で描いたと言われる。その中の「円融院天皇子日遊之図」「三条左大臣実房公茸狩之図」などは重要文化財に指定される。主な作品に、1843年「年中行事絵巻」(個人蔵)、1848年「子ノ日遊図」(藤田美術館)、1852年「三十六歌仙図画帖」(大阪市美術館)などが著名。






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