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歌仙図色紙貼掛軸 紀貫之・凡河内躬恒
妙法院宮尭延法親王筆・九条殿内大臣輔実筆
紀貫之(左側) 妙法院宮尭延法親王筆/凡河内躬恒(右側)  九条殿内大臣輔実筆  絵師不明  紙本・着色 各4紙18.5㎝×16.51cm

 紀貫之の 「右 紀貫之/さくらちる木の/下風は寒からで/そらにしられぬ/ゆきぞふりける」(『亭子院歌合』13、『拾遺集』64、『古今六帖』4182、『三十人撰』17、『新撰和歌集』81、『金玉集』14、『和漢朗詠集』131、)、および凡河内躬恒の「左 凡河内躬恒/わが宿の花見/がてらに来る人は/ちりなむ後ぞ/こひしかるべき 」(『古今集』67、『古今和歌六帖』4042、『金玉集』16、『和漢朗詠集』124)和歌色紙と画像の色紙を貼る。因みに上記貫之の和歌は延喜13年(913)3月13日に宇多法皇が居所の亭子院で催した歌合での詠で、貫之は左方で出詠して勝になった。このとき合わせた右方の詠者は躬恒で「わが心春の山辺にあくがれてながながし日をけふも暮らしつ」(『亭子院歌合』14)の歌を詠んだ。

 妙法院宮尭延法親王
(1677-1719 延宝4年-享保3)は、江戸時代前期から中期にかけての法親王。霊元天皇の第五皇子で、母は五条庸子。幼名六宮。俗名周慶(ちかよし)。9歳の時に京都・妙法院に入り尭恕法親王に師事。親王宣下を受けた後に出家する。天台座主を経歴する。4代将軍徳川家綱三十三回忌法会、徳川家康百回忌法会において導師を努めた。

 九条殿内大臣輔実(1669-1730  寛文9年-享保14年 享年61歳)は、左大臣九条兼晴一男で、母は九条道房女待姫。正室は益子内親王(後西天皇皇女)。子に九条師孝、九条尚実らがある。延宝4年(1676)8歳で従三位に叙せられ、正徳元年(1711)に従一位となる。のち左大臣・摂政・藤氏長者に補せられ、享保元年(1716)関白に就任する。後洞院と号する。絵画が得意で、京都上善寺の弁天十五童子を描いている。