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伊勢物語芥川の図 土佐光時
伊勢物語芥川図  土佐光時 (明和2年−文政2年 1765〜1819)画/富小路貞直賛 約177×52cm

場面は、伊勢物語第6段「芥川」の、次の行に相当する。
昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、
年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率ていきければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。(伊勢物語 第6段)


 本図は土佐派21世の絵師・絵所預従四位下伯耆守藤原光時と正三位刑部富小路貞直の賛(省略)で成る。絵師の土佐光時は、土佐派20世土佐光淳の男。幼名を長松丸と称し、字を子中、号を南淵とした。安永4年(1775)従六位上、左近将監、天明2年(1782)正六位下、同9年従五位下、寛政8年(1796)従五位上、享和3年(1803)正五位下、文化10年(1813)伯耆守、同11年従四位下となる。文政元年(1818)に大嘗会悠紀主基屏風を描いたことで知られる。文政2年(1819)歿、56才。
 また賛を認めた正三位刑部富小路貞直は、藤原宣条の男で、のち良直の養子になる。官職は正三位治部卿に至る。また歌人としても知られ、如泥と号した。加藤千蔭に師事し、本居宣長と親交があり、和歌・俳諧書を能くした。天保8年(1837)、77才で死去した。