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石山寺縁起絵巻 巻第二第七図(下図)  33.7×45.5p

『蜻蛉日記』中巻、天禄元年七月二十日頃に作者藤原道綱の母が石山寺に参籠する記事がある。御堂で仏に祈願し、一晩中泣き明かして、明け方にうとうと眠った時に、寺の別当と思われる法師が夢に現れて、銚子に水を入れて持ってきて、道綱の母の右膝に注ぎかける夢を見る、という件である。この場面を描いたのが当図像で、『石山寺縁起絵巻』第二巻第七図に相当する。
 『石山寺縁起絵巻』巻二第三段の詞書に、「傅大納言道綱の母<陸奥守藤原倫寧朝臣女>法興院の禅閣枯々にならせ給し比、七月十日余りの程にや、当寺に詣でて、終夜この事を祈申けるが、暫し打ち微睡みたる夢に、寺務と覚しき僧、銚子に水を入れて、右の膝に掛くるとみて、ふと打ち驚きぬ。仏の御導と頼もしく覚えけるに、八月二日、殿又御座して、御物忌みなどとて、暫し御座す。(後略)」とある件を図像にする。
 なお、『蜻蛉日記』中巻、天禄元年七月二十日頃の記事には次の如く叙述される。「さては夜になりぬ。御堂にてよろず申し、泣き明かして、暁方に、まどろみたるに、見ゆるやう、この寺の別當とおぼしき法師、銚子に水を入れて持て来て、右の方の膝にいかくと見る。ふと驚かされて、仏の見せ給にこそはあらめと思ふに、ましてものぞあはれに悲しくおぼゆる。明けぬ、と言ふなれば、やがて御堂より下りぬ。」 
 本図は石山寺縁起絵巻第二第七図の模本(下図)であるが、画面構成、人物の表情などを原本通りに忠実に筆者しようとする意図が看て取れる。ただし、衣装の文様などはすべて描き取るのではなく、部分的に精確に書写して、同様の部分はこれを省略するという方法に徹しているようである。これを模写した画家の名は不明であるが、やまと絵に精通している実力者と推察される。この図像で石山寺所蔵原本と資料的面で注意されるのは、原本ですやり霞の青色が退色してしまってその色をほとんど留めていないのに対して、本図が退色する前の青色で着彩されているのは資料的価値を保証すると見なしてよいのではないかと思われる。しかし一方で、簀子敷で仮眠する従者の女の袴の亀甲文が原本に黄朽葉色であるのに対して、本図は濃き蘇枋色で描くこと、さらには道綱の母が引きかぶって眠っている衾の色が、原本は落栗色の織物であり、本図では九月菊襲色の織物で描かれているといった相違が見られる。しかし、本図と原本との最大の相違点は、原本の室内格子脇に垂れる二枚の簾の有無にある。本図では簾二枚分のスペースを確保しつつもその形状をまったく描き取っていないことを指摘して、今後の研究に俟ちたいと思う。





道綱母石山寺参籠図 石山寺縁起絵巻模本下図