当ページの画像・テキスト等を Webサイトや印刷媒体へ転載・転用することを禁じます。 

懸想文売り図 浮田一恵画

:懸想文売り図  浮田一恵 (寛政7年−安政6年 1795〜1859 享年65歳)画183×38cm

 この図像は懸想文売りの姿を描いたもの。落款によれば浮田一恵61歳の時の筆になる。懸想文売りは、寛文年間に、京都の松原弓矢町で行われるようになったといわれ、延宝年間の頃には侍烏帽子、小袖姿となり、さらに天和年間には素襖姿をするようになる。その後、一時中絶したものの文化15年に再興し、烏帽子、狩衣、藁脛巾、草鞋の扮装で、梅の枝に文を吊し肩げて、正月の早朝に知己の間にその文を投げ込んで歩いたとされる。

 浮田一恵は江戸後期の絵師。京都生。田中訥言に師事した。初名は公信、のち可為、豊臣などを称した。号に為牛、一恵斎・昔男精舎などがある。本図では「六十一翁谷神子豊臣可為書」と署名し、陽刻印「豊臣可為」を押す。なお、浮田一恵は、やまと絵だけでなく、和歌や書にも巧妙であった。勤王討幕の志士であり、安政の大獄で捕らえられ,出獄後間もなく没した。