巨勢金岡 賢聖を描く図

 「平安朝に至り工芸文学大に起り中にも宇多天皇頃巨勢金岡絵画に巧になり勅令に依て清涼殿の障子弘仁以後の詩人を描き紫宸殿に賢聖障子を描た特に仁和寺の殿壁に画た馬は夜々田の稲を荒したと云其子孫画を能くするもの多く巨勢派をなした」(「日本歴史図絵第30」『日本歴史』第四集 昭和4年11月による)
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巨勢金岡 賢聖を描く図