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鴬宿梅 紅梅内侍 山村耕花画

紅梅内侍  山村耕花筆  1886(明治19)−1942(昭和17)

 場面は『大鏡』の鴬宿梅説話で知られるもの。村上天皇の御時に、御所の梅が枯れたので、それに替わる梅を探していた。同じような紅梅のある家が見つかった。それは紀貫之の家の庭に植えられていた。これを御所に移植することになった時に、貫之女が、献上するのは光栄なことであるが、毎年この梅の木に来て鳴く鴬が、今年来たときに梅がなくてどんなに寂しがるかと思って、「勅なればいとも賢し鴬の、宿はと問はばいかが答へん」と詠んだ和歌を梅の枝に結びつけて献上した。天皇は、貫之女の心に深く感心して、梅の木を「鴬宿梅」と名づけて返却し、貫之女に紅梅内侍という名を賜ったという説話を描いたもの。

 耕花は、本名豊成。尾形月耕に師事する。 風俗人物画に新境地を開いたほか、版画、舞台美術にも活躍した。役者似顔絵が優れていたことでも知られる。代表作に「八朔」「お杉 お玉」などがある。 1942(昭和17)歿、57歳。