源氏物語 明石 狩野休白筆 1577〜1654(天正5〜承応3年) 享年78歳  16.5×25cm  絹本・着色 

 十三夜の月が昇るなか源氏が明石の君を初めて訪ねる場面を描く。「忍びて吉しき日見て、母君のとかく思ひわづらふを聞き入れず、弟子どもなどにだに知らせず、心一つに立ちゐ、かかやくばかりしつらひて、十三日の月のはなやかにさし出でたるに、ただ「あたら夜の」と聞こえたり。 君は、「好きのさまや」と思せど、御直衣たてまつりひきつくろひて、夜更かして出でたまふ。御車は二なく作りたれど、所狭しとて、御馬にて出でたまふ。惟光などばかりをさぶらはせたまふ。やや遠く入る所なりけり。道のほども、四方の浦々見わたしたまひて、思ふどち見まほしき入江の月影にも、まづ恋しき人の御ことを思ひ出できこえたまふに、やがて馬引き過ぎて、赴きぬべく思す。 「秋の夜の月毛の駒よ我が恋ふる雲居を翔れ時の間も見む」と、うちひとりごたれたまふ。 造れるさま、木深く、いたき所まさりて、見どころある住まひなり。海のつらはいかめしうおもしろく、これは心細く住みたるさま、「ここにゐて、思ひ残すことはあらじ」と、思しやらるるに、ものあはれなり。」

【絵入源氏物語 明石】

 休白は、初代休伯長信である。松栄直信(1519−1592 狩野元信男)の四男。狩野派を代表する巨匠であり、狩野永徳(1543-1590)の弟にあたる。俗名を佐右衛門(丹青若木集)、左衛門(画工便覧)、休伯長信源七郎(古画備考)などと称した。剃髪して法眼に叙す。慶長年中に京都で徳川家康に謁しその後駿府へ召されて御用絵師となる。1596年〜1615年頃「京都御目見、其後駿府へ被為召御用相勤、台徳院様(徳川秀忠)、御入国之節御供仕」(古画備考)とあるのによると、狩野家で徳川氏に仕えた最初の絵師である。1625年には二代将軍秀忠の入国に隨従して法橋に叙す。二条城行幸殿障壁画では探幽に次ぐ重要な部屋を担当した。花下遊楽図(国宝)、曽我物語図屏風、桜花若松図屏風などの作品がある。

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