野呂の玉川  落款あり  風炉先屏風  紙本 着色  49.3×175.0cmp

 野路の玉川は、近江国(現在の滋賀県草津市野路町)の萩の名所で、「萩の玉川」とも呼ばれた。「玉川」の名の由来は、聖徳太子が仏法興隆のため御幸された時に、馬に水を呑ませるために笏で萩原を穿つたところ、たちまち清水が湧き出て玉の姿に変じたことによると言われる。
「明日もこん野路の玉川萩こえて色なる波に月やどりけり」(『千載集』源俊頼)
「さを鹿のしからむ萩の秋見へて月も色なる野路の玉川」(『新拾遺集』仲光)
 他にも、野田の玉川(宮城県塩釜市と多賀城市)、井手の玉川(京都府綴喜郡井手町)、三島の玉川(大阪府高槻)、調布の玉川(東京都)、高野の玉川(和歌山県高野山)があり六玉川と呼ばれる。
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近江野呂の玉川図