野路の玉川図  内記住吉広定(寛政5年−文久3年 1793-1863  享年71歳)画   絹本 屏風  62.5p×86p

 広定は、『古画備考』によると江戸幕府御用絵師であった住吉広行の次男。兄の廣尚の死後、住吉家第7代の家督を継ぐ。広定は、のち弘定、弘貫と名乗る。通称は内記。本図には「内記廣定画」の落款があり、広定の初期作品と見られる。江戸後期の住吉派の名手といわれた。

 野路の玉川は、近江国(現在の滋賀県草津市野路町)にあり、そこに湧く泉は旅人の喉を潤す名泉であったといわれる。またこの付近は萩の名所であったことから「萩の玉川」ともいわれ、日本六玉川の一つで知られる。「明日も来む野路の玉川萩越えて色なる波に月宿りけり」」(千載集・藤原俊成)の和歌などが有名である。
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野路の玉川図 住吉広定画