源氏物語 須磨 須磨の浦八月十五夜図 海老名正夫筆  内外タイムス社 昭32年 木版画 24×32.8㎝

 桐壺帝の崩御後、異母兄朱雀院の御代になった。今上帝の外戚として全盛をほこるのは右大臣家であった。その右大臣六の君の朧月夜は、尚侍として朱雀院に仕えていた。ところが、かつて朧月夜と関係を持た源氏は、たまたま里下がりしていた朧月夜に再会して密会した。不運にもその現場を朧月夜の父・右大臣に見られてしまった。これに思い悩んだ源氏は、遂に須磨へ退居することを決意し、亡妻の実家左大臣家や藤壺の宮などに別れを告げて、惟光や良清らごく少数の近従者を伴って須磨へ下向した。源氏26歳になった三月のことであった。画面は五ヶ月後のこと。庭前に秋の花が色々と咲き乱れる夕暮れ、源氏は海を見わたせる廊に出て、遙か沖合を見やっている。やがて月も須磨の浦に昇ってきた。今夜は八月十五夜である。源氏には宮中での管絃の御遊びのことなどが次々に追憶された。源氏物語の作者紫式部が石山寺に参籠して八月十五夜の月が瀬田川に映じるのを眺めて源氏物語執筆の構想を得たとされるが、その時の構想が、この須磨の場面に反映されていると伝承されている。






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