当ページの画像・テキスト等を Webサイトや印刷媒体へ転載・転用することを禁じます。 

小督の局と弾正少弼源仲国  橋本(揚洲)周延  B

勅命弾正少弼仲国至嵯峨  橋本周延・揚洲周延 (天保9年〜大正元年 1838-1912)筆  36cm×64.5cm

 小督局と高倉天皇の恋物語を主題にした錦絵。高倉天皇妃建礼門院徳子の父清盛は天皇が小督局を寵愛したことを憎み、これを知った小督は嵯峨野に身を隠してしまった。高倉天皇は源仲国に小督の捜索を命じる。源仲国は、嵐山の亀山で、仲秋の名月の夜に得意の笛を吹いた。すると、聞き覚えのある「想夫憐」の琴の音が聞こえて、小督を見つけることができた。「峰の嵐か松風か、たずぬる人の 琴の音か、おぼつかなくは思えども、駒を早めて行くほどに、片折戸したる内に琴をぞひき澄まされたる」。小督はその後、再び内裏に迎えられた。

 『平家物語』巻六に有名な小督は、生没年不審。父は桜待中納言藤原成範。「小督」の呼称は父成範が左兵衛督でることに因む。小督は、当時宮廷一の美貌で、琴の名手でも知られた。
 「入道相国(平清盛)これを聞き、『中宮(徳子)と申すも御娘なり。冷泉少将(隆房)婿なり。小督殿に二人の婿を取られて、いやいや、小督があらん限りは世の中よかるまじ。召し出して失はん』とぞのたまひける。小督殿漏れ聞いて、『わが身のことはいかでもありなん。君の御ため御心苦し』とて、ある暮れ方に内裏を出でて、行方も知らず失せ給ひむ。主上(高倉天皇)御嘆きなのめならず。昼は夜のおとどに入らせ給ひて、御涙にのみむせび、夜は南殿出御なつて、月の光を御覧じてぞなぐさませたまひける」(『平家物語』巻六)
  高倉天皇は時の権力者平清盛の娘中宮徳子よりも小督を溺愛するようになる。これを清盛が恨んだので、小督は嵯峨野深くに隠れ 住んだ。悲嘆した高倉天皇は弾正少弼源仲国という笛の名手をして小督を捜索させたところ、初秋名月の夜に、
 「亀山のあたり近く、松の一むらある方に、かすかに琴ぞ聞こえける。峰の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思へども、駒を速めて行くほどに、片折戸したる内に、琴をぞ弾きすまされたる。控へてこれを聞きければ、少しもまがふべきもなき小督殿の爪音なり。楽は何ぞと聞きければ、夫を想うて恋ふと読む想夫恋といふ楽なり」(同)
とあり、仲国は嵐山の法輪寺にほど近い亀山で聞き 覚えのある琴の音「想夫憐」を聞きつける。小督の居所を突きとめた仲国は急ぎ参内して高倉天皇に奏上すると、後日、高倉帝は小督を宮中に迎え入れて再び寵愛する。