本朝七賢女図  豊原国周(天保6年〜明治33年 1835-1900)筆   明治10年  36.5×25.2p×3枚  彫工亀吉 摺工丸山政吉

一条帝の御后上東門院と申は御堂関白道長公の御女にして御名を彰子と申奉る御前の女房たちいづれも名高き才女たり其人々をはじめ七首の詠歌をあつめ叡覧し給ふと云

一条朝の賢女七名を描き和歌を副えた美麗な木版画。この当時、賢女と呼ばれる女性をどのように把握していたかが知られる貴重な錦絵である。国周は、幕末から明治時代に活躍した浮世絵師。はじめ長谷川派の豊原周信に学び、のち三代豊国に入門して国周と改める。号に花蝶楼・一鶯斎・豊春楼・米翁などがある。生涯歌川を称することはなかった。門弟に周延・周里・周春らがいる。



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本朝七賢女図 豊原国周画

   紫式部、清少納言など7婦人