当ページの画像・テキスト等を Webサイトや印刷媒体へ転載・転用することを禁じます。 

紫式部 為時 惟規図 紫式部日記 吉田秋光画

紫式部と惟規  吉田秋光筆  1887(明治20)−1946 (昭和21)

 紫式部は幼い頃から才気を発揮していたといわれるが、この図像は、『紫式部日記』に「この式部の丞といふ人の、童にて書よみはべりし時、聞きならひつつ、かの人は遅う読み取り、忘るる所をもあやしきまでぞさとくはべりしかば、書に心入れたる親は、『口惜しう。男児にて持たらぬこそ、幸なかりけれ』とぞ、常に嘆かれはべりし。」と叙述されている件に相当する。紫式部の父・為時が兄の惟規(一説に弟)に学問を教えていたとき、傍らで聞いていた紫式部のほうが早く理解するに至ったので、紫式部が男だったら、と嘆いたという有名な場面である。
 
==================惟規の略歴===================
寛弘元(1004)年1月11日 少内記
           3月 4日 位記の作成を命ぜらる
           5月13日 国用位記を作成
寛弘4 (1007)年1月13日 兵部丞兼六位蔵人
           7月12日 兵部丞
           7月15日 行成に止観玄義文句三十巻の                 外題奉書の勅を伝える
寛弘5 (1008)年7月17日  勅使兵部丞惟規、中宮彰子を                 見舞う
          12月15日 蔵人惟規、御仏名に奉仕
寛弘6(1009)年頃      式部丞に転任か
寛弘7(1010)年 1月8日 行成の参内を奏上す
           6月19日 行成下賜の続色紙六巻に楽府                ・後撰集など書写した由を奏上
          10月4日〜27日、下用衛門府粮伝達

寛弘8(1011)年秋      任従五位下。父為時越後赴任                 に同行し発病。任地到着後まも                  なく卒去とも。
===============================================

 秋光は、金沢の出身。松岡映丘に師事する。大正6年文展初入選し、同11年に帝展特選を受賞したる。代表作に「松林」「初秋」「秋のけはひ」などがある。