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鴬宿梅図  稲垣晴雪画 
鴬宿梅図  稲垣晴雪(明治28年生1895)画   43p×49p

 村上天皇の御時に、御所の梅が枯れたので、それに替わる梅を探していところ、同じような紅梅が見つかった。その紅梅は紀貫之宅の庭に植えられていた。これを御所に移植することになった時に、貫之女が「勅なればいとも賢し鴬の、宿はと問はばいかが答へん」と詠んだ和歌を梅の枝に結びつけて献上した。天皇は、貫之女の心に深く感心して、梅の木を「鴬宿梅」と名づけて返却し、貫之女に紅梅内侍という名を賜ったという。
 稲垣晴雪は明治28年(1895)に愛知県幡豆郡西尾で生まれる。 上村松園に師事し、のちに橋本関雪にも師事する。山水画と美人画を得意とする。稲垣錦荘と結婚し、著書に『錦箒庵画集』(昭和56年刊)などもある。