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伊勢物語図 宇津の山辺 住吉弘定筆

伊勢物語 第9段 宇津の山辺  住吉弘定筆  1793−1863 (寛政5〜文久3) 享年71才。 絹本・着色

 図像は『伊勢物語』第9段の次の一節をテーマにしている。「宇津の山にいたりて、我が入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦、楓は茂り、もの心細く、すずろなる目を見ること、と思ふ。修行者にあひたり。かかる道は、いかでかいまする、と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとに、とて文書きて付く。『駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり』」 。「駿河なる宇津の山辺の」の和歌は、『新古今集』巻10、羈旅歌904にも入集する。「宇津の山」は静岡県志太郡 と安倍郡との境にある宇津の谷峠と見られている。
 弘定は、住吉派5代目の住吉広行の次男で、住吉派7代目を継いだ弘貫(「広貫」とも書く)のこと。弘貫は、はじめ広定、のち弘定と改めた。江戸後期の住吉派の名手で幕府の御用絵師を勤めた。花鳥図を得意とし、狩野派に互した。紀州の「東照宮縁起絵巻」を描いたことで知られる。






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