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小督仲国図 藤井高尚
小督と源仲国  藤井高尚賛 1764〜1840 (明和元年〜天保11年)  享年77才 紙本・着色   91×横28p  画面右上に「月見つゝくもゐを思ひひく琴にかよひてすめる笛の音さへも 高尚」の自詠歌あり

 『平家物語』巻六に有名な小督は、生没年不審。父は桜待中納言藤原成範。「小督」の呼称は父成範が左兵衛督でることに因む。小督は、当時宮廷一の美貌で、琴の名手でも知られた。
 「入道相国(平清盛)これを聞き、『中宮(徳子)と申すも御娘なり。冷泉少将(隆房)婿なり。小督殿に二人の婿を取られて、いやいや、小督があらん限りは世の中よかるまじ。召し出して失はん』とぞのたまひける。小督殿漏れ聞いて、『わが身のことはいかでもありなん。君の御ため御心苦し』とて、ある暮れ方に内裏を出でて、行方も知らず失せ給ひむ。主上(高倉天皇)御嘆きなのめならず。昼は夜のおとどに入らせ給ひて、御涙にのみむせび、夜は南殿出御なつて、月の光を御覧じてぞなぐさませたまひける」(『平家物語』巻六)
  高倉天皇は時の権力者平清盛の娘中宮徳子よりも小督を溺愛するようになる。これを清盛が恨んだので、小督は嵯峨野深くに隠れ 住んだ。悲嘆した高倉天皇は弾正少弼源仲国という笛の名手をして小督を捜索させたところ、初秋名月の夜に、
 「亀山のあたり近く、松の一むらある方に、かすかに琴ぞ聞こえける。峰の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思へども、駒を速めて行くほどに、片折戸したる内に、琴をぞ弾きすまされたる。控へてこれを聞きければ、少しもまがふべきもなき小督殿の爪音なり。楽は何ぞと聞きければ、夫を想うて恋ふと読む想夫恋といふ楽なり」(同)
とあるように、仲国は嵐山の法輪寺にほど近い亀山で聞き 覚えのある琴の音「想夫憐」を聞きつける。小督の居所を突きとめた仲国は急ぎ参内して高倉天皇に奏上すると、後日、高倉帝は小督を宮中に迎え入れて再び寵愛する。
  藤井高尚は備中国(岡山県)吉備津神社社家に生まれる。幼名は忠之丞。通称小膳。松舎と号する。備中吉備津宮の宮司。正五位下位長門守。江戸後期の国学者。歌人。寛政5年(1793)本居宣長に入門。和歌は本京都の栂井一室に学ぶ。著書に『伊勢物語新釈』『清少納言枕冊子新釈』『古今集新釈』『消息文例』『松の落葉』など。