伊勢物語 第9段 業平東下り図  田能村竹田筆  1777〜1835(安永6年〜天保6年) 享年59才。 文化元(1804)年、28歳の作品  紙本・着色 一軸  38.5×23.5cm 

 図像は『伊勢物語』第9段東下りにおける次の一節をモチーフにする。「富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。 『時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらん』  その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらんほどして、なりは塩尻のやうになんありける。」
 駿河の国まで下ってきた男が、すでに仲夏であるのに雪を頂く富士の山に感動して和歌を詠む場面である。『伊勢物語』には図像が描かれていなかったので富士の山容の実際を知らぬ読者のために、比叡山を引き合いに出して補足の説明をしている。「時知らぬ」の歌は、『新古今集』巻十七、『古今和歌六帖』巻一、『業平集』にも見える。
 田能村竹田は、江戸後期の文人画家。豊後国(大分県)竹田村の岡藩々医碩庵の次男。幼名を磯吉、青年期は行蔵を通称。 名は孝憲、字は君彝(くんい)。別号に九畳仙史・随縁居士等。儒学を修め藩校の頭取になるが、文化10年(1813)藩政改革の建白書が無視されたことで辞職し、以後、文人生活に入る。詩歌・文章・書画・茶香に通暁した。絵は谷文晁に学び、明・清画を研究して独自の画境を築いた。代表作には画帖「亦復一楽帖」「船窓小戯帖」がある。「山中人饒舌」「竹田荘師友画録」などの画論書もある。






伊勢物語図 東下り 田能村竹田筆 

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