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土佐光種画 大口鯛二賛「子日の松引きの図」

 大口鯛二「はつはるのはつねのこまつおもしろきゆきなからこそひかまほしけれ 周魚」の画賛を認める。 
 大口鯛二(元治元年−大正9年1864-1920 享年57才)は名古屋の出身。名は鯛二・直良など。号に周魚、白檮舎、字は多比之、旅師などが知られる。書を祖父端山に教わり、後に宮内省歌所首座を閲歴した伊東祐命に歌を学ぶ。明治22年(1889)、43歳で御歌所寄人に任じて御歌所初代所長の高崎正風に師事した。和歌の普及を目的に千種会を設立したり、明治23年(1890)設立の古筆研究会「難波津会」に参加して古筆の研究や蒐集を行い『書苑』などに連載した。東京国立博物館蔵の古筆手鑑『月台』は周二が収集した古筆名物切などを中核にする。明治29年8月、33歳の周二は古筆の調査をしていた京都西本願寺で『西本願寺本三十六人家集』を発見したことはあまりにも有名な話である。仮名の権威阪正臣や田中親美らと親交があり、門下に尾上柴舟などがいる。






子日の松引き図 土佐光種画 大口鯛二賛