源氏物語図  朝顔(巻第20) 土佐光起画 1617-1691年 (元和3年〜元禄4年)  享年75才。 絹本 着色

 光起は、名は藤満。江戸前期の土佐派を代表する絵師。父は土佐光則(1583〜1638)。1634年(寛永11)に左近将監に任ぜられ、承応3年(1654)
御所絵所預となり、土佐派を再興。狩野派と対抗した。土佐光信・光茂・光吉・光則の伝統を継いだ絵師であったのちに出家して1681年(天和1)法橋、1685年(貞享2)法眼となる。
 斎院の朝顔が父式部卿宮の喪に服して斎院を退下して桃園宮に帰ると、以前から朝顔に関心を持っていた源氏が、桃園宮を訪ねるが朝顔は会おうとしなかった。源氏と朝顔の噂を耳にした紫の上は煩悶した。ある雪の夜、二条院の庭で童女達童たちに雪山をつくらせた場面がこの画像である。

 月は隈なくさし出でて、ひとつ色に見え渡されたるに
、しをれたる前栽の蔭心苦しう、遣水もいといたうむせびて、池の氷もえもいはずすごきに、童女下ろして、雪まろばしせさせたまふ。をかしげなる姿、頭つきども、月に映えて、大きやかに馴れたるが、さまざまの衵乱れ着、帯しどけなき宿直姿なまめいたるに、こよなうあまれる髪の末、白きにはましてもてはやしたる、いとけざやかなり。小さきは、童げてよろこび走るに、扇なども落として、うちとけ顔をかしげなり。いと多うまろばさむと、ふくつけがれど、えも押し動かさでわぶめり。かたへは東のつまなどに出でゐて、心もとなげに笑ふ。「一年、中宮の御前に雪の山作られたりし、世に古りたることなれど、なほめづらしくもはかなきことをしなしたまへりしかな

         【絵入源氏物語 朝顔】





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源氏物語図 朝顔 土佐光起画