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風早三位実積筆  1691−1753 (元禄4〜宝暦3)  62歳薨  紙本 30 x 43p 江戸時代

大はらや/をしほの山の/小松ばら/はやこだかゝれ/千代のかげみん

 この和歌は『後撰和歌集』巻第二十 慶賀の哀傷1373番に入集する紀貫之歌を書写したものである。同集には「左大臣の家の男子女子、かうぶりし、裳着はべりけるに  貫之/大原や小塩の山の小松原はや木高かれ千代の影見む(1373)」とある。また『貫之集』717番に「承平五年十二月、左衛門のかうの殿の男、女君たち元服し、裳き給ふ夜よめる/大原や小塩の山の小松原はや木高かれ千世の影見ん(717)」と見える。『古来風体抄』巻上338番にも貫之の詠として「大原や小塩の山の小松原はや木高かれ千世の影見ん」を収載する。 
 実積(さねつみ)は従二位参議風早公長の男。江戸中期の公卿。実積は元文4年(1739)参議に任じ、寛保3年(1743)従二位に昇叙、宝暦2年(1752)に出家。法名為空。宝暦3年(1753)7月19日薨去。享年62歳。