当ページの画像・テキスト等を Webサイトや印刷媒体へ転載・転用することを禁じます。 

飛鳥井雅康 二楽軒筆

飛鳥井雅康(永享8-永正6 1436-1509 74歳) 二楽軒筆 紀貫之歌・源公忠歌  32.8㎝×6.2㎝

和漢朗詠集春より二首を書写
「さくらちる木のしたかせはさむからて空にしられぬ雪そ降ける(紀貫之)/「とのもりのともの宮つこ心あらは此春はかりあさ清めすな」(源公忠朝臣)

 飛鳥井雅康は室町時代の公卿であり、歌人、書家としても知られる。飛鳥井雅世(1390-1452)の二男。二楽軒(じらくけん)・二楽院を号する。書二楽流の祖。
 兄雅親の猶子となり、家学を相伝。文明三年(1471)正三位に昇叙し、同十一年四月権中納言に任ず。その後同職を辞して、文明十四年(1482)二月四日近江松本で出家する。法名は宋世。剃髪の際、後土御門天皇・将軍義尚より慰留されるが謝絶している。これにより飛鳥井家嫡流は雅康の猶子雅俊(雅親の実子)が継ぐ。
 永正六年(1509)十月二十六日、七十四歳で薨去。雅親の庇護下、足利将軍家等に信任され、文明期の歌壇で指導的な立場にあった。
 自邸で度々歌会・連歌会を催す。文明十年(1478)、朝倉孝景に招かれて越前に下向したり、同十八年には上杉房定の招きで越後に下ったりと、地方歌壇でも活動した。家集に『雅康集』、詠草に『入道中納言雅康卿百首』、永正三年(1506)の『蹴鞠百首』がある。著書に『歌道抄』『蹴鞠条々大概』『富士歴覧記』ほか。蹴鞠の名手としても重んじられ、書・尺八などにも秀でた。
 文明十三年(1481)に守護大名大内政弘の求めに応じて雅康が書写した源氏物語は「大島本」の呼称で知られる。