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飛鳥井雅宣(難波宗勝・雅胤)

飛鳥井雅宣(天正14年-慶安4年 1586-1651 享年66歳)   37.0㎝×6.0㎝

「契待恋 たのむるをまた偽とおもひてもなをわすられぬ夕暮の空」

この歌は『続後撰和歌集』801に詞書「契待恋といふことを」で平長時の詠として入集する。また『題林愚抄』6676にも平長時の詠として収載される。ただし、『題林愚抄』の詞書には「契待恋」とのみ記され、本短冊と同様の題詞である点を考慮すると、この飛鳥井雅胤筆の出典は『題林愚抄』と見るのが穏当かも知れない。

難波宗勝・飛鳥井雅胤と同一人。飛鳥井雅庸(まさつね)の二男として天正14年12月16日に生まれ、難波家を相続する。慶長5年正月月従五位上。同年12月28日侍従。同12年正月11日左権少将。同14年(1609)7月女官との密通事件(猪熊事件)が後陽成天皇の耳に達し連座の勅勘を蒙り伊豆に配流された。同17年(1612)勅免され帰洛し、翌同18年(1613)名を雅胤と改めて飛鳥井家を相続する。難波家は子の宗種が相続した。同20年(1614)正月11日左中将。寛永3年(1626)12月3日参議。同5年正月29日左衛門督。同7年正月11日権中納言。同16年権大納言、慶安4年(1651)従一位、同年3月21日薨ず。享年66歳。
 難波家を再興して難波宗勝を名乗ったが、後名は雅宣、雅胤。法名演雅、法号潜龍院太素演雅。能書家で栄雅流。