冷泉前大納言宗家筆  紙本・着色  江戸時代   35×48cm 

月次の屏風の繪を哥によみ侍ける/元輔/千とせふる松といふともうへて見る人ぞかぞへてしるべかりける

 『続後撰集』巻20-1353に「月次の屏風のゑを歌によみ侍りけるに  元輔/ちとせふるまつといふともうゑて見る人ぞかぞへてしるべかりける」とあるのに拠ったと見られる。因みに、『元輔集T(書陵部本)』247には「正月ごえふあるところ/ちとせふるまつといふともうゑてみるひとぞかずへてしるべかりける」とあり、詞書の異同状況からみてこれに拠ったものでないことは明らか。
 なお、『伊勢集T(西本願寺本)』184に「八条大将四十賀、権大納言のし給、子日松いへにうゑたるところ/ちとせふる松といへどもうゑてみる人ぞかぞへてしるべかりける」とあり、同じく『伊勢集U(島田良二氏蔵本)』188には「八条の大将の四十賀、権大納言のしたまふ屏風のゑに、子日松家にうへたる所/千とせふる松といふとも植てみる人ぞかぞへて知るべかりける」と見える。『古今六帖』巻4-2289にも「いせ ある本」とある。
 元輔の歌は伊勢歌を剽窃するか。
 宗家は、下冷泉家第13代当主。江戸後期の公卿。元禄15年(1702)〜明和6年(1769)8月18日薨ず。享年68歳。正二位前権大納言。実父は冷泉家第11代正二位権大納言為経、実母は家女房だが、為経の男で正四位下左中将為俊の養子となる。

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