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百官四分 曽我又左衛門尚祐筆 慶長11年 1606年 写本1冊 19.7×27.7p

 本書は巻末の奥書に「右一冊者三光院前内府御作也」とあり、三光院前内府、即ち三条西実枝(永正8年8月4日〈1511年8月27日〉 - 天正7年1月24日〈1579年2月19日〉)の著作であるという。三条西実枝は、戦国時代の公家・歌人・古典学者。初名は実世、34歳の時に実澄、64歳の時に実枝と改名する。法名は豪空、玄覚。号は三光院。三条西家に伝わる「源氏物語」を集大成した「山下水」を著した。1577年には織田信長の推挙により大納言に任じられた。三条西家に代々伝わる古今伝授は一子相伝の秘事であったが、息子公国が幼かったため、やむなく弟子の細川藤孝(幽斎玄旨)に初学一葉を与え、古今伝授を行った。幽斎は三条西実枝の子、公国が早世すると、孫の実条に古今伝授を伝えた。
 また本書の書写者曽我又左衛門尚祐は、織田信長の右筆。徳川幕臣。幕府祐筆。故実家。兵庫頭、主計頭であった。はじめ足利義昭に、次いで織田信雄に仕え、文禄4年(1595)に細川幽斎の推薦で豊臣秀吉に足利古来の式を言上し、伊勢飯野郡に4百石と朱印状を賜った。慶長5年(1600)に徳川家康に召され、千石を賜り、故実家として勅仕することになった。足利家の末裔として、曽我流の書札礼を大成した。






百官四分 曽我又左衛門尚祐筆