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1997.12.18 に更新しました


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古典文学講座

『源氏物語』巻第一・桐壺


■本文校訂■ 浜口俊裕

目次

  1. 父帝および母桐壷更衣の紹介--- いづれの御時にか
  2. 桐壺更衣の家柄--- 父の大納言は亡くなりて
  3. 光源氏の誕生--- 前の世にも、御契りや深かりけん
  4. 一の皇子と比較--- 一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて
  5. 更衣の立場--- はじめより
  6. 若宮三歳、袴着の儀--- この皇子三つになりたまふ年
  7. 更衣、里第に退出--- その年の夏
  8. 更衣死去、帝の様態--- 御胸つとふたがりて
  9. 無心の若宮、更衣の里に退出--- 皇子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、
  10. 更衣の葬送--- 限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、
  11. 更衣に三位の追贈 人人の哀惜深し--- 内裏より御使あり。
  12. 人々の哀惜深し--- もの思ひ知りたまふは、
  13. 帝、涙に濡る悲しき秋--- はかなく日ごろ過ぎて、
  14. 勅使靫負命婦、母君を弔問し故人を偲ぶ--- 野分だちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、
  15. 勅使靫負命婦帰参、帝の哀傷更に深まる--- 命婦は、まだ大殿籠らせたまはざりけると、
  16. 若宮参内、祖母北の方の死--- 月日経て、若宮参りたまひぬ。

本文

1.父帝および母桐壺更衣の紹介

いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふ、ありけり。はじめより我はと思ひあがりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕につけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもりにやありけん、いとあつしくなりゆき、もの心<細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世の例にもなりぬべき御もてなしなり。上達部・上人なども、あいなく目を側めつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起りにこそ、世も乱れあしかりけれと、やうやう、天の下にも、あぢきなう人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。

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2.桐壺の更衣の家柄

父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえ華やかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももてなしたまひけれど、取りたてて、はかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠りどころなく心細げなり。 

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3.主人公の誕生

 前の世にも、御契りや深かりけん、世になくきよらなる玉の男皇子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなるちごの御容貌なり。

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4.一の皇子と比較

一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私ものに思ほしかしづきたまふこと限りなし。

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5.更衣の立場

 はじめよりおしなべての上宮仕したまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びのをりをり、なにごとにもゆゑある事のふしぶしには、まづ参う上らせたまふ、ある時には大殿篭りすぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この皇子生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この皇子のゐたまふべきなめりと、一の皇子の女御は思し疑へり。人よりさきに参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御諌めをのみぞ、なほわづらはしう、心苦しう思ひきこえさせたまひける。 かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ、疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱く、ものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。 御局は桐壼なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひて、隙なき御前渡りに、人の御心を尽くしたまふも、げにことわりと見えたり。参う上りたまふにも、あまりうちしきるをりをりは、打橋・渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、たへがたく、まさなきこともあり。またある時には、え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、こなたかなた、心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。事にふれて、数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を、ほかに移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむ方なし。

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6.若宮三歳、袴着の儀

この皇子三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮の奉りしに劣らず、内蔵寮・納殿の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この皇子のおよすけもておはする御容貌、心ばへ、ありがたくめづらしきまで見えたまふを、えそねみあへたまはず。ものの心知りたまふ人は、かかる人も世に出でおはするものなりけりと、あさましきまで目を驚かしたまふ。

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7.更衣、里第に退出

その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなんとしたまふを、暇さらにゆるさせたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五、六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかるをりにも、あるまじき恥もこそと、心づかひして、皇子をば止めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。 限りあれば、さのみもえ止めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いとにほひやかに、うつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつ、ものしたまふを、御覧ずるに、来し方行く末思しめされず、よろづのことを、泣く泣く契りのたまはすれど、御答へもえ聞こえたまはず。まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色にて臥したれば、いかさまにと思しめしまどはる。輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえゆるさせたまはず。 「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりともうち棄てては、え行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、 「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは 命なり けりいとかく思ひたまへましかば」と息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむ、と思しめすに、「今日はじむべき祈祷ども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」と、聞こえ急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせたまふ。

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8.更衣死去、帝の様態

御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使も、いとあへなくて帰り参りぬ。 聞こしめす御心まどひ、なにごとも思しめし分かれず、籠りおはします。

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9.無心の若宮、更衣の里に退出

 皇子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。何事かあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。

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10.更衣の葬送

 限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に、したひ乗りたまひて、愛宕といふ所に、いといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。 「むなしき御骸を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなん」と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人々、もてわづらひきこゆ。

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11.更衣に三位の追贈 人人の哀惜深し

 内裏より御使あり。三位の位贈りたまふよし、勅使来て、その宣命読むなむ、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思さるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。これにつけても、憎みたまふ人々多かり。

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12.人々の哀惜深し

 もの思ひ知りたまふは、さま容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる。さまあしき御もてなしゆゑこそ、すげなうそねみたまひしか、人がらのあはれに、情ありし御心を、上の女房なども恋ひしのびあへり。「なくてぞ」とは、かかるをりにやと見えたり。

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13.帝、涙に濡る悲しき秋

 はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにも、こまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方々の御宿直なども、絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。「亡きあとまで、人の胸明くまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などには、なほ許しなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こしめす。

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14.勅使靫負命婦、母君を弔問し故人を偲ぶ

 野分だちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。 タ月夜のをかしきほどに、出だし立てさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうのをりは、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。  命婦かしこにまで着きて、門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまへる、闇にくれて臥ししづみたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ、八重葎にもさはらずさし入りたる。南面におろして、母君もとみにえものものたまはず。 「今までとまりはべるがいとうきを、かかる御使の、蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなん」とて、げにえたふまじく泣いたまふ。 「『参りてはいとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と、典侍の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。 「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ静まるにしも、さむべき方なくたへがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮の、いとおぼつかなく、露けき中に過ぐしたまふも、心苦しう思さるるを、とく参りたまへ』など、はかばかしうも、のたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見たてまつるらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御気色の心苦しさに、うけたまはり果てぬやうにてなむ、まかではべりぬる」とて御文奉る。 「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて、見たまふ。   ほど経ばすこしうちまぎるることもやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになん。いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともにはぐくまぬおぼつかなさを。今はなほ、昔の形見になずらへてものしたまへ。 など、こまやかに書かせたまへり。  宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ とあれど、え見たまひ果てず。 「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、松の思 はむことだに、恥づかしう思ひたまへはべれば、ももしきに行きかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたびうけたまはりながら、みづからはえなむ思ひたまへ立つまじき。若宮は、いかに思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなむ思し急ぐめれば、ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思ひたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますも、いまいましう、かたじけなくなん」とのたまふ。  宮は大殿篭りにけり。 「見たてまつりて、くはしう御ありさまも奏しはべらまほしきを、待ちおはしますらむに。夜更けはべりぬべし」とて急ぐ。 「くれまどふ心の闇もたへがたき片端をだに、はるくばかりに聞こえまほしうはべるを、私にも、心のどかにまかでたまへ。年ごろ、うれしく面だたしきついでにて、立ち寄りたまひしものを、かかる御消息にて見たてまつる、かへすがへすつれなき命にもはべるかな。生まれし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、いまはとなるまで、ただ、『この人の宮仕の本意、かならず遂げさせたてまつれ。我亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、かへすがへすいさめおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人もなき交らひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただかの遺言を違へじとばかりに、出だし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、交らひたまふめりつるを、人のそねみ深くつもり、やすからぬこと多くなり添ひはべりつるに、よこさまなるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ、かしこき御心ざしを思ひたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ」と、言ひもやらず、むせかへりたまふほどに、夜も更けぬ。 「上もしかなん。『わが御心ながら、あながちに人目おどろくばかり思されしも、長かるまじきなりけりと、今はつらか りける人の契りになむ。世に、いささかも人の心をまげたる ことはあらじと思ふを、ただこの人のゆゑにて、あまたさるまじき人の恨みを負ひし果て果ては、かううち捨てられて、心をさめむ方なきに、いとど人わろうかたくなになり果つるも、前の世ゆかしうなむ』と、うち返しつつ、御しほたれがちにのみおはします」と語りて尽きせず。泣く泣く、 「夜いたう更けぬれば、今宵過ぐさず、御返り奏せむ」と急ぎ参る。月は入方の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声々もよほし顔なるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。鈴虫の声のかぎりを尽くしても長き夜あかずふる涙かな えも乗りやらず。 「いとどしく虫の音しげき浅茅生に露おきそふる雲の上人 かごとも聞こえつべくなむ」と、言はせたまふ。 をかしき御贈物などあるべきをりにもあらねば、ただかの御形見にとて、かかる用もやと残したまへりける、御装束一領、御髪上の調度めく物、添へたまふ。  若き人々、悲しきことはさらにも言はず、内裏わたりを朝夕にならひて、いとさうざうしく、上の御ありさまなど思ひ出できこゆれば、とく参りたまはんことをそそのかしきこゆれど、かくいまいましき身の添ひたてまつらむも、いと人聞き憂かるべし、また見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう思ひきこえたまひて、すがすがともえ参らせたてまつりたまはぬなりけり。

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15. 勅使靫負命婦帰参、帝の哀傷更に深まる

 命婦は、まだ大殿籠らせたまはざりけると、あはれに見たてまつる。御前の壼前栽の、いとおもしろき盛りなるを、御覧ずるやうにて、忍びやかに、心にくきかぎりの女房四、五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。  このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。  いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること、忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、 「いともかしこきは、置き所もはべらず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になむ。    荒き風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞ静心なき」 などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと、御覧じゆるすべし。  いとかうしも見えじと、思ししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず。御覧じはじめし年月のことさへ、かき集めよろづに思しつづけられて、時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけりと、あさましう思しめさる。 「故大納言の遺言あやまたず、宮仕の本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ、言ふかひなしや」とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。 「かくても、おのづから、若宮など生ひ出でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」などのたまはす。 かの贈物御覧ぜさす。亡き人の住み処尋ね出でたりけむ、しるしの釵ならましかば、と思ほすも、いとかひなし。 尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく 絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければ、いとにほひすくなし。太液の芙蓉、未央の柳も、げに、かよひたりし容貌を、唐めいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にも、よそふべき方ぞなき。朝夕の言ぐさに、翼をならべ、枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせずうらめしき。 風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こしめす。このごろの御気色を見たてまつる上人女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちて、もてなしたまふなるべし。  月も入りぬ。 雲のうへも涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生の宿 思しめしやりつつ、燈火を挑げ尽くして、起きおはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。人目を思して、夜の殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、明くるも知らで、と思し出づるにも、なほ朝政は怠らせたまひぬべかめり。ものなどもきこしめさず。朝餉の気色ばかりふれさせたまひて、大床子の御膳などは、いとはるかに思しめしたれば、陪膳にさぶらふかぎりは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふかぎりは、男女、いとわりなきわざかな、と言ひあはせつつ嘆く。さるべき契りこそはおはしましけめ、そこらの人のそしり、恨みをも憚らせたまはず、この御ことにふれたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中の事をも思ほし棄てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなりと、他の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり。

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16. 若宮参内、祖母北の方の死

 月日経て、若宮参りたまひぬ。いとど、この世のものならず、きよらにおよすけたまへれば、いとゆゆしう思したり。  明くる年の春、坊定まりたまふにも、いとひき越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなかあやふく思しはばかりて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、さばかり思したれど、限りこそありけれ、と世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。 かの御祖母北の方、慰む方なく思ししづみて、おはすらむ所にだに尋ね行かむ、と願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。皇子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ馴れむつびきこえたまひつるを、見たてまつりおく悲しびをなむ、かへすがへすのたまひける。

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【次回につづく!!
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