1997.12.25 に更新しました


再録版
学術研究論文

新出の冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』について


■著       者■  浜 口 俊 裕

■初 出 掲 載 誌■  『大東文化大学紀要』 <人文科学>  第35号 (平成9年3月発行)

               ★全文収録★


■版型・執筆ページ数■  A4版 27ページ


■原 本 ・ 表 紙■

八条坊門局筆
承安5年(1175)書写本
縦21.3p
横13.8p
綴葉装
  「冷泉家の至宝展」(NHK・NHKプロモーション)より

目次

  1. はじめに
  2. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』の筆者坊門局
  3. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』は宮内庁書陵部蔵本(五〇一・一二六)と同系統
  4. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と宮内庁書陵部蔵本(五〇一・一二六)の歌序
  5. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と書陵部蔵本の主な一致点
  6. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と書陵部蔵本の巻末における書写形態の近似
  7. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と書陵部蔵本の一致せざる点
  8. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』は書陵部蔵本の祖本か
  9. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』筆者坊門局の転写上のケアレスミス
  10. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』の書写者坊門局は紀貫之・時文父子に連想が及ばなかったか
  11. 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と書陵部蔵本の本文異同一覧
  12. 付記 書陵部蔵本『元輔集』(五〇一・一二六)翻刻の誤謬補正


論文

       一 はじめに
 以前に冷泉家時雨亭文庫所蔵の新出本『能宣集下巻』について本文および古筆学史上の特色などについて拙い考察を試みたことがある(1)。 その時点では時雨亭文庫所蔵の平安私家集の公開は始まったばかりで、藤原道長六男長家を祖とする御子左家の歌人たちに私家集とりわけ三十六人 集がどのように受け止められていたのか、その内実を確認できないもどかしさがあった。しかし、その後、平成七年までに三十六人集のうち十二種 十四本が公開されるようになって、俊成や定家の三十六人集に対する並み並みならぬ執着や、時雨亭文庫蔵本の本文的価値、古筆学史上の意義など が徐々に知られるようになってきた。  今回考察を試みることにした冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』もまた冷泉家時雨亭叢書『平安私家集 三』(朝日新聞社・一九九五年八月)の刊 行により、新たにその存在と全容を知ることができるようになった一本である。以下、時雨亭文庫蔵本『元輔集』の概要について些かまとめてみる ことにしたいと思う。

注 (1)拙稿「新出の冷泉家本『能宣集下巻』について」(『東洋研究』第一〇九号、平成6年1月)

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       二 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』の筆者坊門局
 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』は,後の見返し(78丁表)に「右元輔集坊門局筆外題京極殿」との認め書きがある。坊門局の真跡はこれまでに 『唯心房集』『清正集・興風集』『仮名消息』などが知られていたが、新たに時雨亭文庫蔵本『元輔集』も坊門局筆と認められるに至ったことは古 筆学史の上でも意義が大きい。このほか同時に公開された冷泉家時雨亭文庫蔵本『兼輔中納言集』『源順集』『平兼盛集』『能宣集』『源重之集』 も『元輔集』と同筆であり、坊門局が冷泉家に伝来する私家集の筆写に大きく関与していたことが明白になったのである。  坊門局は、詳しい経歴は不明だが、父は御子左家流の藤原俊成、母は従五位上民部少輔藤原顕良女である。坊門局の同腹の妹には延寿御前の名で 知られる八条院権中納言がいる。顕良は、兄の従二位権中納言基忠や従三位権中納言俊忠の官職に比べて著しく劣ってるが、俊成の叔父であったか ら、顕良女の従兄弟にあたった俊成を婿に迎えることは、それほど困難なことではなかったのであろう。  俊成の女子たちには鳥羽天皇の皇女八条院熙子内親王に仕えた者が少なくないが、坊門局も熙子内親王に出仕して「八条院坊門局」と呼ばれた。 因みに八条院熙子内親王は、保延三年(一一三七)四月八日に生れ、同四年四月九日内親王に宣下され熙子内親王になり、同五年十二月二十日着袴、 久安二年(一一四六)四月十六日に十歳で准后、保元二年(一一五七)二十一歳で出家し法名金剛観を号した。応保元年(一一六一)十二月十六日 に八条院の院号を宣下され、建暦元年(一二一一)六月二十六日に七十五歳で崩御した。坊門局に対する八条院の信任は相当に篤かったと見られる。  また坊門局は、後白河院の寵臣として権勢を振るい『平家物語』に平氏打倒の鹿谷事件の首謀者として語られる大納言藤原成親の妻になったが、 それは応保(一一六一〜六二)・長寛(一一六三〜六四)頃のことで(2)、子には公佐などがいる(3)。治承元年(一一七七)七月九日、成親 は鹿谷事件により流罪になった備前国で生涯を閉じるが(4)、坊門局は夫を失った後も八条院に出仕したといわれ る。なお成親は、坊門局を妻にする以前、後白河院京極を妻にしていた。後白河院京極も父親は俊成であり、母は歌人藤原為忠女であったから、後 白河院京極と坊門局は異腹の姉妹の関係にあった。成親と後白河院京極の子のうち、第二女は建春門院に仕え「新大納言局」と呼ばれ恵まれた宮仕 え生活を送るが(5)、夫平維盛が寿永三年(一一八四)三月二十八日に二十七歳で那智において入水による非業の 死を遂げた(6)といわれてからは、いくどか人生の岐路に立たされたことがある(7)。  坊門局にとって定家は、異腹の弟であった。応保二年(一一六二)に誕生した定家は、近衛天皇の母后美福門院に仕えて美福門院加賀と呼ばれた 人が母で、若狭守藤原親忠所生の女であった。定家は、坊門局筆の『唯心房集』に「八条院坊門局 下 官 大 姉所書写也」と識語しているが、 そこには坊門局を「大姉」と記している。坊門局と定家の年齢差が何歳だったか正確なことは判らないが、定家は同腹の姉八条院三条について『明 月記』正治元年九月二十日条に「傳聞、五條上出家云々、予同胞大姉也」と記し、「大姉」という言い方をしている。この大姉八条院三条は、『明 月記』正治二年三月九日条に「中陰如夢過了、予十四年之姉也」と記されるように、定家より十四歳ほど年長であった。「大姉」と記された八条院 三条が定家より十四歳年長であったことを勘案すると、同じく「大姉」と識語された坊門局もかなり年長であったと見てよいであろう。俊成の第一 子と目されるのは九条三位忠子家女房(8)腹の興福寺権別当大僧都覚弁で、正治元年(一一九九)十一月二十七日に六十八歳で入滅したので(9)、 俊成十九歳の長承元年(一一三二)に誕生したことになる。定家とは三十歳も年齢のひらきがある。この頃に俊成は叔父顕良の女を妻にし、坊門局 を儲けたたものと考量される。いま仮に坊門局の出生を遅らせて保延六年(一一四〇)生れで算出したとしても、定家より二十二歳年長になる。従 って、断定はできないけれども、姉坊門局と弟定家の年齢差は、二十歳を優に越えていたと見ていいであろう。なお、定家は、正治年間に、異母姉 であった坊門局宅を頻繁に訪れている。坊門局の年齢はすでに六十代であったと推定されるが、『明月記』同二年三月十三日条に「秉燭以後向坊門、 彼尼上病悩給之由聞之、仍参、但非殊事歟」とあるように、定家は尼になっていた坊門局が病気で臥せりがちであったのをとかく案じていた。『明 月記』同年七月十七日条に「心神甚不快、不似例人々間、坊門事忘却、不問安否、尤不便」とあるように、定家が多忙と心身疲労で坊門局を訪うこ とが叶わぬ時もあったが、坊門局晩年の安否をいつも気にかけていたことが窺える。  

 関戸家本『唯心房集』は坊門局の真跡として知られているが(10)、    よ の な か を つ ね な き も の と   つねならぬよのことはりをおもはずはいかてかはなのちるにたへまし (『私家集大成』『新編国歌大観』本では12番歌に相当) とある歌の初句・第二句に傍書された「よのなかをつねなきものと」は、俊成が加筆したものであることが明らかになっている。俊成は元久元年 (一二〇四)に卒したから、坊門局が『唯心房集』を書写したのは、俊成生前の元久元年以前であったことになる。  唯心房、即ち寂然は、藤原為忠男であり、後白河院京極を生んだ俊成室と兄妹である。坊門局が父俊成を介して寂然自筆の『唯心房集』を借り、 それを筆写することはさほど困難なことでもないように思われるが、俊成が自ら坊門局筆の『唯心房集』に書き入れしていることを勘案すると、坊 門局が積極的に願い出て寂然自筆の『唯心房集』を筆写したと見るよりも、俊成の依頼によって坊門局が転写したと見るべきなのであろう。  元久元年の時点で坊門局の年齢は六十代後半と見られるが、今般発見された冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』は、坊門局が三十代後半の頃に書写 した真跡として極めて注目に値するのである。時雨亭文庫蔵本『元輔集』77丁表の奥書に、次のような行が認められている。                                (の)   承安五年五月廿四日、さい宮のおはします四条まちのこうち□、みなみおもてのひむかしのつまとにてかきはてたるを、このさうしのぬしの、   よのすゑのひとにおかしとおもはせん、こまかにかきつけよ\/とおほせらるれは、こまかにかく。(句読点は稿者)  これによると、平安時代末期の承安五年(一一七五)、坊門局三十代後半の頃に書写したことが判明する。時に定家は、未だ十四歳であった。し かも、奥書にいう「このさうしのぬし」は父俊成のことと解されるが、当時六十二歳であった俊成は、後世の人の関心を呼ぶために、「こまかにか きつけよ\/」と指導し、坊門局もそれに応えて「こまかにかく」ことを試みたことが明らかになるのである。「こまかにかく」ものが具体的に何 か必ずしもはっきりしないが、奥書の文言を素直に解釈すれば、おそらく「承安五年五月廿四日、さい宮のおはします四条まちのこうぢ□、みなみ おもてのひむかしのつまとにてかきはてたるを」という詳細な奥書そのものを指すと見られるが、広義にはその後に認められている「いかにかゝせ おはしますとも……」等の文言をも含めているのかもしれない。 いずれにしても冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』は、御子左家流俊成、定家の父 子に伝わった平安朝期の私家集の実態を探る上で頗る有益な一本だといえる。

注 (2) 『御子左系図』。同系図には「八条院坊門局、母民部少輔顕良女、六条院宣旨、応保・長寛之比為成親卿妻、生子四人、其時猶院召仕、離別    之後猶候院、仁安以後治承以前只一人召仕、御幸毎度参御車」とある。但し、同系図の「仁安以後治承以前只一人召仕、御幸毎度参御車」とい    う記事は、俄には信じ難い。『明月記』嘉禄二年十二月十八日条に、後白河院に注して、「母為忠朝臣女、自仁安至于治承、唯一人祇候、乗御    車後、近習奏者無余人……」という記事があるので、おそらく、『御子左系図』では後白河院京極に関する注記を誤って八条院坊門局に書き込    んでしまったものと推測される。 (3)『明月記』嘉禄二年十二月十八日条 (4)『百錬抄』による。 (5)『健寿御前日記』 (6)『平家物語』巻第十による。『源平盛衰記』は病死説をとる。 (7) 『明月記』治承五年六月十二日条。『平家物語』では維盛入水により妻は出家して維盛を弔ったと記す。しかし、『明月記』嘉禄二年六月三    日条には、前権大納言実宣の婿取りに関する記事中に「為外祖父後妻之婿 <維盛卿女>」とあり、維盛室が夫亡き後に権大納言経房と再婚し、    更に実宣とも夫婦の関係にあったことが明らかになる。 (8)石田吉貞「藤原俊成の子女」(『国語と国文学』昭和36年11月) (9)『興福寺別当次第』巻第三。『僧綱補任』(残欠本)。  (10) 関戸家本『唯心房集』については、関戸守彦氏編の『千とせの友』(尚古会、昭和3年)、『書道全集』第十七巻(平凡社、昭和6年)掲    載の写真四葉、佐々木信綱氏『国文学の文献学的研究』(岩波書店、昭和10年)などでわずかに知ることができるにすぎない。

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       三 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』は宮内庁書陵部蔵本(五〇一・一二六)と同系統         これまで知られてきた『元輔集』の諸伝本は、次の五系統である。   @宮内庁書陵部蔵本(五〇一・一二六)   A宮内庁書陵部蔵御所本(五一〇・一二)   B正保版歌仙家集本系統   C西本願寺本系統   D尊経閣文庫蔵本  さて、冷泉家時雨亭文庫蔵坊門局筆本は、系統でいうと右の@宮内庁書陵部蔵本(五〇一・一二六)に相当する。しかも、時雨亭文庫蔵坊門局筆本 は、書結論的に言えば、陵部蔵本(五〇一・一二六)の祖本と考えられるものである。しかし、両者には漢字・仮名の別、仮名の字母、字配り、本文 の丁変り、書風などの点で異なる所も少なくない。書陵部蔵本が時雨亭文庫蔵本の忠実な模写本・影写本でないと見ることができる。いずれにしても 書陵部蔵本は、時雨亭文庫蔵本の下位に位置する写本である。今後『元輔集』の諸本について考える場合、@の「宮内庁書陵部蔵本(五〇一・一二六)」 は、「冷泉家時雨亭文庫蔵坊門局筆本」をもって系統の代表に修正されなくてはならない。

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  四 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と宮内庁書陵部蔵本(五〇一・一二六)の歌序  次に、具体的に冷泉家時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本(五〇一・一二六)の歌序を対照してみることにする。対照表の上段に時雨亭文庫蔵本、下段に 書陵部蔵本の歌番号を掲げた。この対照表で「★」を付した二箇所、即ち時雨亭文庫本228番と261番、書陵部蔵本218番と251番の部分は、共に、詞書 だけがあり和歌を欠いているところである。『私家集大成 中古・』所収の書陵部蔵本は、この箇所に歌番号を振っていないので、同書巻末の歌は 262番になっている。しかし、本稿では詞書だけの場合でも本来は歌があったものとみて番号を付した。従って、この対照表では『私家集大成 中古 ・』所収本より見かけ上二首多くなっていることに注意されたい。 この対照表から明らかなように、書陵部蔵本には時雨亭文庫蔵本の69番(21丁裏) 〜77番(22A丁表)にかけての九首が欠けている。即ち、書陵部蔵本69番は     大にくにのりかむまこのこひてはへりしにわりこのうたゑに     かゝせてはへりし   月かけのいたらぬにひはもこよひこそさやけかりけれはきのしらつゆ とあるが、詞書「かゝせてはへりし」と歌「月かけの」の行間に、時雨亭文庫蔵本では69番「みてしかなふたはのまつのおゐしけりやそうち人のかけ とならんよ」以下九首が置かれているのである。この九首は『元輔集』ではA〜Cのどの系統にも見ることができ、その歌順はどれも時雨亭文庫蔵本 に一致している。従って、書陵部蔵本に欠けている九首は同本の誤脱と認めてよいであろう。 時雨亭文庫蔵本はこの部分、両面書写により筆跡が背 面に透けて見えるため、かなり判読しずらい丁であるが、書陵部蔵本の誤脱はそれが直接の原因であったとは思えない。書陵部蔵本の親本が書写の際 に、丁数で一丁分を誤って捲ったことから生じた単純な誤脱を、書陵部蔵本が継承しているものと考えられる。  なお、時雨亭文庫蔵本の85番には、歌頭の左右に長い合点がかけられ、詞書がない次の一首がある。   ちよをへてくるあきことにきこえなんゆくすゑとほきまつむしのこゑ  この歌は同本82番にも既出の重複歌であることから、点がかけられたのであろうか。この85番歌は下の句まで書写されているので本稿の歌序対照表 には敢て歌番号を割当てたが、書陵部蔵本は削除する歌と判断したのであろう、転写していない。

冷泉家時雨亭文庫本 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
宮内庁書陵部蔵本 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47
48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64
48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64
65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81
65 66 67 68 − − − − − − − − − 69 70 71 72
82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98
73 74 75 − 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88
99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 
89 90 91 92  93 94  95 96 97  98  99 100 
111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122
101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112
123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134
113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124
135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146
125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136
147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158
137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148
159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170
149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160
171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182
161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172
183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194
173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184
195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206
185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196
207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218
197 198 199 200201 202 203 204 205 206 207 208
219 220 221 222 223 224 225 226 227  ★228 229
209 210 211 212 213 214 215 216 217  ★218 219
230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241
220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231
242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253
232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243
254 255 256 257 258 259 260  ★261 262 263 264
244 245 246 247 248 249 250  ★251 252 253 254
265 266 267 268 269 270 271 272 273 274
255 256 257 258 259 260 261 262 263 264
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      五 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と書陵部蔵本の主な一致点

 (一)歌序の一致
 前章の歌序対照表から明らかになるように、書陵部蔵本の一部誤脱を別にすると、両者の歌序は一致していると見ることができる。両者が系統を
等しくするものであることの徴証になろう。

 (二)集付の一致
 冷泉家時雨亭文庫蔵本の集付は田中登氏によると「定家が加えた可能性が大きい」(11)といわれるが、両者に見える集付は「拾」「後」「新」
の三種である。時雨亭文庫蔵本の番号でその箇所を掲げると次の如くであり、時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本の集付の箇所は完全に一致している。

    拾(8・162 )
    後(191 ・195 ・198 ・214 ・216 ・256 )
    新(207 )

 (三)ミセ消チの一致
 ミセ消チの総数三十九箇所中、完全に一致するものは二十六箇所である。残り九箇所は不一致であるから、ミセ消チの総てが一致しているわけで
はない。一致するものの具体例を二、三掲げてみると、次の如くである。番号は時雨亭文庫蔵本による。
    15詞  いへにてかれるきくを
           ‖

         めと    
    23詞  よ見はへりしには
         ‖    ‖

         しはへら
    108詞  えせ○て
          ‖

 15番詞書は「て」の左に点を打ってミセ消チにし、「て」を一字削除している。
 23番詞書は「見」「に」をミセ消チにし、それぞれ「めと」「か」に訂正している。書写された時期がはるかに後年の書陵部蔵本が、ミセ消チの
結果だけを採用するのではなく、ミセ消チをほぼ忠実に写し取っている箇所が多いことは注目してよいであろう。
 108 番詞書は「せ」の左に点を打ってミセ消チにし、更に「せ」と「て」の間に点を打って「しはへら」を補っている。「‖」点だけを打って
「しはへら」とはせず、「○」点ままで写しているのは、書写の態度がかなり厳密であることの表れと見ることができ、注目に値する一例である。

 (四)書き入れの一致
 書き入れの総数は六十八箇所である。そのうち完全に一致するものは六十一箇所に及ぶ。残りの七箇所は不一致であるから、ミセ消チと同様に総
てが完全に一致しているわけではない。いま時雨亭文庫蔵本をもとに、両者の書き入れが一致する事例を二つ挙げてみることにする。
        
    22詞 あまひらの

        
    25詞 日ら羅数
 22番詞書の場合、八条院坊門局筆の「ら」は「こ」と判読できなくもない(例えば時雨亭文庫蔵本69詞書「こひて」、127 詞「ころ」の「こ」に
近似する)。おそらく坊門局は親本の字形「ら」を尊重してそれに従ったのであろう。しかし、「あまひら」の意を不審として「本」と書いたので
あろう。ここは「あまひこの」が本来の形であろう。「あまびこ」はヤスデの古名といわれ、『和名類聚抄』に「馬陸、一名百足 和名阿末比古」と
見える。
 次に25番詞書には、草仮名を書き混ぜて「ひららす」とある。坊門局が見た『元輔集』にも、おそらく「日ら羅数」とあったのであろう。坊門局
は、文字の形から「羅」と筆写したが、やはり意味不通で「本」と書き入れたのであろう。そうだとすると、坊門局が見た親本より前の代の写本で
「羅」に転化したことになるが、転化する以前の文字は、あるいは字形の相似する「閑」であったろうか。その場合は「日ら閑数」(「ひらかす」)
になるが、宮内庁書陵部蔵御所本(五一〇・一二)と歌仙家集本には「ひらく」、『夫木抄』(秋二・四五〇三)入集歌には「ちらず」とあり揺れ
ている。
 いずれにしても時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本は共に一致しており、各々親本の本文の形を遺すことに努めていることが窺える。

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注 (11) 冷泉家時雨亭叢書『平安私家集 三』解題(朝日新聞社・平成7年8月)       六 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と書陵部蔵本の巻末における書写形態の近似  時雨亭文庫蔵本75丁表と書陵部蔵本49丁表には、『元輔集』の末尾の歌(時雨亭文庫蔵本274番、書陵部蔵本264番)が書かれている。散らし書き で筆写されており、おおむね次のようになっている。     うちはらへともたれかいはまし      むねとをかいてはのうみにて       くたりしにつかはしゝ    きみわかみ我みおいぬる            わかれこそ        しはしはかりと            おもひ              なさ              れ               ね  前歌の下の句「うちはらへともたれかいはまし」と、家集末尾の一首を料紙一面に筆写するだけなので、空間美を意識した字配りが見られ、他の 丁とは全く趣を異にしている。この丁で注目されるのは、時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本が、本文の丁変り、字配り、使用字母、書風に至るまで、極 めて近似していることである。両者がこれほどまでに近似する丁は、この丁と、この後に奥書を認めた丁だけである。従って、巻末部における書写 形態の近似は、時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本との関係を考える上での重要な手がかりを示唆してくれるのである。ともかく両者の近似は、単なる偶 然ではなく、各々が書写の拠り所にした本の巻末の形態を、ほぼ忠実に模写したことによる一致と考えてよいと思われる。即ち、時雨亭文庫蔵本の 巻末は、俊成が貸出した『元輔集』の巻末をほぼ忠実に転写したものと考えられる。また書陵部蔵本も時雨亭文庫蔵坊門筆本の写しと推測される本 を親本にして、ほぼ忠実に写し取ったものと考えられる。その結果、上記のように極めて近似した丁を目の当たりにすることが可能になったものと 思われる。書陵部蔵本からみて時雨亭文庫蔵坊門局筆本は親本ではなく、祖本に当るものと推測される。  時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本における同様の近似は、この後の丁、即ち時雨亭文庫蔵本76丁裏〜77丁表と書陵部蔵本49丁裏〜50丁表にも見ること ができる。これらの丁には「こと本をたつねてよくこらむしあはせよ、おほつかなきことひまも候はす……」をはじめとする奥書がある。これらの 丁もまた、本文の丁変り、漢字・仮名の別、仮名字母、字配り、行の傾き、書体などに至るまで近似している。中でも注目されるのは、                              (の)   承安五年五月廿四日、さい宮のおはします四条まちのこうぢ□、みなみおもてのひむかしのつまとにてかきはてたるを、このさうしのぬしの、   よのすゑのひとにおかしとおもはせん、こまかにかきつけよ\/とおほせらるれは、こまかにかく。 (句読点は稿者) という奥書である。時雨亭文庫蔵本に認められた坊門局自作の奥書が書陵部蔵本にも存在する事実は、書陵部蔵本の先祖が坊門局筆本であることの 動かぬ徴証であるといえる。       七 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と書陵部蔵本の一致せざる点  時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本は、一致する点や近似するものが見られる反面、一致しない点もまた少なくないのである。以下、これについて些か 考察してみることにする。  (A)漢字・仮名の不一致  後章の冷泉家時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本の本文異同一覧で明らかなように、両者には漢字・仮名の本文異同が多く目立つ。時雨亭文庫蔵本は比 較的仮名書きが多いのに対して、書陵部蔵本は漢字を使用する頻度の高いことが判明する。因みに、二三事例を挙げると、次の如くである。   @時雨亭文庫蔵本の仮名に対して書陵部蔵本が漢字を用いる例(番号は時雨亭文庫蔵本による)     5  いろもなき   |色もなき     13  なつのよのあめ |なつのよの雨     24  うつしてしかな |うつしてし哉     65詞 むめのはな   |梅花   A時雨亭文庫蔵本の漢字に対して書陵部蔵本が仮名を用いる例(番号は時雨亭文庫蔵本による)     12  心も      |こゝろも     20詞 あき風の    |秋かせの     34  ねの日の待に  |ねの日のまつに  (B)仮名字母の不一致  用いる仮名の字母の相違は極めて多数にのぼる。いま時雨亭文庫蔵本の1番〜5番に限って比較してみても、次に掲げるような結果が得られる。 このことは、両者の関係が影写本・模写本といった間柄でないことを明確にしているといえる。
時雨亭文庫蔵本 書陵部蔵本
3 「すきぬと」ノ「す」
4 「くさしけみ」ノ「け」
5 「なきかな」ノ「き」
5 「なきかな」ノ四字目「な」
5 「きくのはな」ノ「な」
5 「かたをわきて」ノ「を」
5 「かたをわきて」ノ「わ」
5 「おきけむ」ノ「け」
 寸
 介
 幾
 那
 那
 越
 和
 介
  春
  遣
  支
  奈
  奈
  遠
  王
  遣
 (C)字配りの不一致  書陵部蔵本『元輔集』(五〇一・一二六)は、江戸初期の写本で、一面一〇行、和歌二行、詞書は二〜三字下げて書写されている。一方、冷泉家 時雨亭文庫蔵坊門局筆本は、平安時代末期の承安五年(一一七五)の書写であることすでに記したが、平均して一面一〇〜一三行、和歌二行、詞書 はほぼ二字下げて書かれている。両者を比べてみると、一丁表は各々1番歌〜2番歌までを記して丁変りになり、字配りは第八行目までほぼ一致し ている。しかし、第九行目に書かれる2番歌が時雨亭文庫蔵本では「たちかへりみれともあかすはるかせのなこ」で改行するのに対して、書陵部蔵 本は「たちかへりみれともあかすはるかせの」で改行している。このように一丁表において、字配りはほとんど一致しているが、多少の違いが見ら れるのである。こうした相違は歌だけでなく、詞書においても同様に見ることができる。例えば6番詞書の場合、時雨亭文庫蔵本は「八月左大将の いへにかんしんしはへりしに」で改行し、3丁表に丁変りして後に続く詞書「きくのはなを」を記すが、書陵部蔵本は2丁表第一行目に「八月左大 将のいへにかんしんしはへ」と書いて改行し、第二行目に「りしにきくのはなを」と書写しているのである。このように字配りにおける両者の不一 致は少なくないのである。これも前と同様に両者の間に影写本・模写本といった関係が成立しなかったことを証左するものといえる。  (D)丁変りの不一致  前項(C)に記したように書陵部蔵本は一面一〇行で書写し、時雨亭文庫蔵本は一面一〇〜一三行で書いている。両者は、一丁表を一面一〇行で 2番歌まで書写して丁変りになる点は一致するが、次の丁からは相違が見える。時雨亭文庫蔵本が二丁裏に3番詞書〜6番詞書の途中まで書写して 丁が変るのに対して、書陵部蔵本は一丁裏に3番詞書〜5番歌までを記して丁を転じている。やはり両者の関係が影写本・模写本の関係でないこと を明証している。  (E)ミセ消チの不一致  ミセ消チの一致しないところは、次の九箇所である。上段が時雨亭文庫蔵本、下段が書陵部蔵本である。これによると、201番詞書の「いひや○ らて」を除き書陵部蔵本は、時雨亭文庫蔵本に見えるミセ消チの文字も、「‖」点も、訂正の書き入れもなく、訂正された結果だけを記しているこ とが知られる。これは、すでに五章の(三)ミセ消チの一致の項において書陵部蔵本がミセ消チをほぼ忠実に写しとっているところが二十六箇所の 多数に及ぶことを確認したのとは、全く正反対の事象である。書陵部蔵本の書写の態度から推して、この九箇所のミセ消チに限って忠実に転写しな かったとは考えがたいことから、書陵部蔵本は時雨亭文庫蔵本からの直接の写しではないと見るべきであろう。むしろ時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本 との間に、少なくても一本「X」本なるものが存在したと考えるのが穏やかで、書陵部蔵本はその「X」本の姿をほぼ忠実に伝えているものと推測 されるのである。     4   つゆもまいたらぬ  つゆもいたらぬ            ‖                  44   はるのまつけふの  春のけふの            ‖‖                   60詞  さい相も本すけ   さい相本すけ            ‖                    144   とほくもならぬに  とをくならぬに            ‖                                  151詞  まかりくたりんと  まかりくたらんと              ‖     179詞  うちにさふらふひし うちにさふらひし               ‖            りはへ        りて     201詞  いひや○らて    いひやらて                      ‖               218詞  かては       かくは          ‖                266   わかへめる     わかつめる           ‖    (F)書き入れの不一致  書き入れが一致しないのは、次の七箇所である。上段が時雨亭文庫蔵本、下段が書陵部蔵本である。このうち時雨亭文庫蔵本60番詞書の「本のま ゝ」、61番「しられぬ」、157番「本のまゝ」は、文字の上に重ねて抹消線を入れている。この三件に関して書陵部蔵本に同様の書き入れがないのは、 文字の抹消が明白であるから、時雨亭文庫蔵本のような書き入れをしなかったのかもしれない。しかし、残りの四箇所は各々独自のものであるから、 時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本を親子の関係でとらえることは適切でないように思われる。やはり上述のように時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本の中間に、 「X」本を想定するのがよいのではないかと思われる。             本のまゝ       60詞 さい相も本す け   さい相本すけ           ‖               しられぬ            61  しらるゝ       しらるゝ        もきにや                63詞 もとに        もとに                        100  きてまゝく      きゝてそゝてに                        本のまゝ      132  たのみそめて     たのみそめて                        134  くさの        くさの            本のまゝ       157  あきのなこりに    あきのなこりに
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      八 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』は書陵部蔵本の祖本か  時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本の関係について、田中登氏は「書陵部本は冷泉家時雨亭文庫蔵本を親本として成立したと思われる」(12)とされる。 如上に縷縷述べたように、歌序、集付、ミセ消チ、書き入れをはじめ、巻末の書写形態など、確かに一致する点は多い。しかし、また一方で漢字・ 仮名、仮名字母、字配り、丁変り、更にはミセ消チ、書き入れにも一致をみないものが少なくないのである。一致する点と一致せざる点が相混じっ ていることは、両者が系譜の上で直系の系統にありながら、直下直上の関係にないことを意味していよう。従って、書陵部蔵本の親本を時雨亭文庫 蔵本と見る田中氏の説はいかがかと思われる。むしろ前章の(E)ミセ消チの不一致や、(F)書き入れの不一致の項ですでに言及したように、時 雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本の間には少なくとも一本「X」本が介在したのではないかと思われ、その「X」本をもとにして成ったのが書陵部蔵本で あると考えるのが穏やかなのではあるまいか。いまこれを簡潔に図示すると、次のようになる。                       ________       ______   原本『元輔集』……○……俊成貸出本――│冷泉家時雨亭文|――X本――|書陵部蔵本|                      |庫蔵坊門局筆本|        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄                         ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   こうした関係が容認されるならば、時雨亭文庫蔵本79番詞書に、     本のまゝ七にや      天 四年四月七日一品宮の御あふきあはせのうたあやのもんにおらせ給しに     よみはへりし とあるような事例についてもまた容易に説明がつくのである。即ち時雨亭文庫蔵本の「あやのもんにおらせ」は、書陵部蔵本に「あやのもんきゐせ」 とあり異同がある。時雨亭文庫蔵本はこのあたり両面に書写され、背面の文字と重なって判読しずらい部分である。加えて「あやのもんにおらせ」の 箇所、坊門局筆の「に」(字母「爾」)は、「き」(字母「支」)と誤りやすい書き様であり、下接する「おら」も、「お」(字母「於」)の終筆と 「ら」(字母「良」)が連綿してやや長めに延びている。このため「おら」の二文字についても、「ゐ」(字母「井」)一文字に見誤りやすいのであ る。書陵部蔵本の親本「X」が時雨亭文庫蔵本を転写した折りに、偶然にも如上のように見誤り「におら」を「きゐ」と誤写してしまったのだろう。 「あやのもんきゐせ」では意味が通らないにもかかわらず、「本」とか「本のまゝ」といった書き入れがないのは、「X」本の書写者が見誤まったこ とを最後まで気づかなかったからなのであろう。その後、現書陵部蔵本がほぼ忠実に「X」本を転写した結果、「あやのもんきゐせ」と筆写され、 「本のまゝ」の書き入れも存在しないのであろう。

注 (12) (11)に同じ。 ★目次へ戻る★
      九 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』筆者坊門局の転写上のケアレスミス  時雨亭文庫蔵本173 番に次の歌がある。    たなはたにあふよしもかなあまのかはあまのかはけふをちきりていくよすきぬと  第三句「あまのかは」を「あまのかはあまのかは」と重複して書写したために一首が三十六音から成ってしまっている。転写の際に使用した親本 「俊成貸出本」が既にそうした事情にあったとしたなら書写者の坊門局は、おそらく「本のまゝ」と書き入れたに違いない。そうした措置が一切と られていないところをみると、これは坊門局自身が転写の過程で冒した単純なケアレスミステークと認めてよいかと思われる。  なお、時雨亭文庫蔵坊門局筆『元輔集』には、定家の加筆が少し見られる。主に文字の修正が中心で、太字で重ね書きしている。前言したように 集付も定家の手沢のようである。172 番歌頭(45丁裏)には「拾」の集付があるから、それに続く173 番歌(46表)のあたりも定家は目を通したに 違いない。しかし、この歌に定家の書き入れは何も見られない。このあたり173 番詞書〜176 番詞書までが46丁表に書写され、176 番歌〜178 番歌 までが46丁裏に書かれている。その46丁表と46丁裏は、たまたま両面に書写され、背面の文字が透けて見え判読しずらい。もしかしたら、定家はそ れに牽制されて坊門局の冒した誤写に気づかなかったのかもしれない。 ★目次へ戻る★
      十 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』の書写者坊門局は紀貫之・時文父子に連想が及ばなかったか  時雨亭文庫蔵本100 番詞書に「本」と書き入れた、次のような箇所がある。                100 詞  ときふに  詞書の全文は、「つらゆきかしふをひとにかりてかへしはへりけるときふによみてつかはしゝ」とある。「本のまゝ」とか「本に本」と記してい ないところをみると、坊門局の独自の判断に基づく書き入れと見ていいのであろうか。もしそうであるなら、坊門局は詞書を「つらゆきかしふを…… はしゝ」と筆写したが、「ときふ」の意を解しかねて「本」と書き入れたことになろう。言うまでもなく「ときふ」は紀貫之の子、時文である。坊 門局は、貫之と時文の父子関係に連想が及ばなかったということなのであろうか。 ★目次へ戻る★
      十一 冷泉家時雨亭文庫蔵本『元輔集』と書陵部蔵本の本文異同一覧  以下、参考までに時雨亭文庫蔵本と書陵部蔵本の本文異同を掲げておくことにする。上段が時雨亭文庫蔵本の番号と本文、下段が書陵部蔵本の本 文である。  4   つゆもまいたらぬ       つゆもいたらぬ         ‖              5   いろもなき          色もなき  7   あきを            秋を  9   かけそをしまるゝ       かけにおしまるゝ  12   心も             こゝろも  13   なつのよのあめ        なつのよの雨  17   もみちのいろを        もみちの色を  19詞  はなのえん          花のえん  19   なみのへたつる        なみのつたへる  20   いろに            色に  24   あきのゝの          秋のゝに      しかのね           しかの音      うつしてしかな        うつしてし哉  25詞  あきの            秋の  25   ふちはかま          藤はかま      つゆに            露に  26詞  はへしに           はへりしに  31   いろふかき          色ふかき  32   ものにたとへむ        物にたとへん  34   ねの日の待に         ねの日のまつに  36   ふなおかに          ふな岡に      ねのひの           ねの日の      ちよをゝくらむ        千世をゝくらん  37   はることに          春ことに  39詞  むめの            梅の  39   心の             こゝろの      のらるらん          のこるらん  40   よろつよは          萬代は  41   ちとせのはるの        千とせの春の  42詞  まつを            松を  42   ちはやふる          千はやふる      かそへむ           かそへん  43詞  あまのつりふね        あまの釣ふね      こまつとも          小松とも  43   あまのつりふね        あまのつり舟  44詞  よみはへりしに        よみはへりし  44   はるのまつけふの       春のけふの         ‖‖            47   よろつよに          万代に      こまつは           小松は  48   はることに          春ことに      ひめまつ           姫まつ  49詞  あるひとの          ある人の      むまれてはへる        むまれて侍る  49   つるの            鶴の  51詞  ひとの            人の  51   しらつゆ           白露  53   ちとせとは          千とせとは           本のまゝ         60詞  さい相も本すけの       さい相本すけの         ‖             60   ちよをしらまし        ちよをしこまく  61   よはひこそゝらに       よはひこそそらに  62詞  七日のよ           七日の夜  62   こすゑに           こすゑよ  65詞  むめのはな          梅花  65   むめのはなかさ\/すには   むめのはなかさかさすには  66詞  うませて           うませ  66   ちよとこそ          千世とこそ  69詞  へにかゝせて         ゑにかゝせて  79詞  あふきあはせのうた      あふきあはの哥      あやのもんにおらせ      あやのもんきゐせ  79   風に             かせに  80   よろつよの          万代の      風の             かせの  81詞  まつむし           松むし      はへりしかは         はへりしに  81   つゆの            露の  82   まつむしの          まつむし  83詞  よみはへりし         よみはへりしに  83   むめの            梅の  84   いろは            色は  86   いろこき           色こき  89   なりぬへきかな        なりぬへき哉  90   ゆきふかみ          雪ふかみ      はるをしるらむ        はるをしるらん  93   くさわかみ          草わかみ      あきと            秋と  94   そても            袖も  96   なるらむ           なるらん  99   にはと            庭と  100詞  ひとに            人に                              ときふに           ときはち  100   かへしけん          かへしけむ      むかしの人の         昔のひとの                           きてまゝく          きゝてそゝてに  101   よろつよのあき        萬代の秋      まつむしの          まつ虫の  102詞  ほとゝきすの         時鳥の  102   しつ心かな          しつこゝろかな  103詞  ひとに            人に  104   はる風の           はるかせの  105詞  物ゝ             物の  107   ひとの            人の  109詞  むめのはな          梅花  110   ありける           有ける  112   いろの            色の  113   つゆの            露の      いろの            色の  114詞  はなの            花の  115   あきの            秋の      そらや            空や  116   つむらむ           つむらん  117詞  またのとし          又の年  117   はるかすみゝて        はるかすみみて      なかむらむ          なかむらん  118   そてひちて          袖ひちて  120詞  あき風の           秋かせの  120   ひとりねむ          ひとりねん  121   あききり           秋きり  122詞  むかしの           昔の  122   人め             人めを  123詞  ゆきの            雪の  126   そめけむ           そめけん  128   わすれけむ          わすれけん  129   せにこそゝても        せにこそ袖も  130詞  つき             月  130   冬の月            ふゆのつき  131   ひとの            人の                          本のまゝ   132   たのみそめていろなれは    たのみそめていろなれは  133詞  あき             秋                       134   くさのかきりし        くさのかきりし  135   ちとせをは          千とせをは  136   月かけを           つきかけを      あるかな           有かな  138   そらの            空の  139詞  七日のよ           七日の夜に  140詞  はへりしなり         はへりし也  143詞  きくの            菊の  143   あきを            秋を  144   とほくもならぬに       とをくならぬに         ‖                 いかてなほ          いかてなを  145   いろにも           色にも  146   つゆの            露の  147   うしろめたきを        うしろめたき      本のまゝ            本のまゝ   148詞  えせそかへし         九をそかへし             151詞  まかりくたりんと       まかりくたらんと           ‖           151   つく\/思を         つく\/物を      心よ             こゝろよ  152   いはひにおふる        いはひにおふ  154詞  きくの            菊の      ひとに            人に  155   きんたうのあそん       きんたうの朝臣  156詞  いひちきりて         いひ契りて  156   けふとちきりし        けふと契りし  157詞  いろ\/           色\/  158   あきの            秋の  159   あきの            秋の  160詞  あきか            秋か      うたよみて          哥よみて  160   あきふかみ          秋ふかみ  164詞  はなに            花に  164   あきの            秋の  166詞  はきの            萩の  166   あきはきのはな        あきはきの花      わかやとに          わかやと  167   あるひと           ある人  168   はるの            春の      なかなむ           なかなん  169詞  つかさめしのころ       つかさめしてのころ  169   つゆけき           露けき  170   はなのたよりに        はなたよりに  173詞  あきこす           秋こす  173   あまのかはあまのかは     あまのかは  174   たなはたのゝちの       たなはたののちの  175詞  はる             春  176詞  くにのりのあそん       くにのりの朝臣  179詞  うちにさふらふひし      うちにさふらひし            ‖          180詞  あき             秋  180   ちきりて           契りて  181詞  ふちはらのあそん       ふちはらの朝臣      かうししはへりし       かうしゝはへりし      むめの            梅の  181   ゆきをふしみて        雪をふくみて  183詞  くにのりのあそん       くにのりの朝臣  184   まつらん           待つらん  185詞  ひとの            人の  186詞  ところに           所に      むめの            梅の  186   しるものを          しる物を      ゆきに            雪に  187   ふく風の           ふくかせの  188詞  さくらのはな         さくらの花  189   うとまれぬらむ        うとまれぬらん  191詞  ひと             人  193   うきなから          かきなから  196詞  ひとの            人の  196   つゆに            露に  197   みゆらむ           みゆらん  198   そてそ            袖ぞ  199   つゆと            露と      したくさ           した草  200詞  みはへし           みはへりし      はへりしにつかはしゝ     はへりしに         りはへ              りて  201詞  いひや○らて         いひやらて                        ‖      ゆきの            雪の  201   ゆきふかみ          雪ふかみ      くもるらん          くもるらむ  202   はるかすみ          春かすみ      たちなゝよりそ        たちなゝかりそ        本 に 本            本 に 本      うすゝきにゝしきと      うすゝきににしきと  203   みねより           みね  205   つゆをも           露をも      はなすゝき          花すゝき      風を             かせを      いてなむ           いてなん  206詞  ひとに            人に  207   ひとに            人に  208   ゆきの            雪の  209詞  ひとに            人に  211   冬のよの           冬の夜の  212   あふ事を           あふことを      そてに            袖に  213詞  ひとに            人に  213   心の             こゝろの      いろよりも          色よりも  216   たき物ゝ           たき物の  218詞  あるひと           ある人             かては            かくは       ‖               218   しりてももゆる        しりてもゝゆる  219   くさかくれ          草かくれ      そては            袖は      いまも            今も  221   返\/そ           かへす\/そ  222詞  いろ\/のはな        色\/の花  222   さくらはな          さくら花  232詞  はなそ            花そ  233   はなすゝき          花すゝき      はかるなりけり        かはるなりけり  236   はなと            花と  239   しるらむ           しるなん  240   もゝのはな\/も       もゝのはな花も  244   とまりぬるかな        とまりぬる哉  245   なかるゝ事の         なかるゝことの  250   はなさけるむめ        花さける梅  252   はるくれは          春くれは  253   はなの            花の  255   あきか            秋か  257   ゆきは            雪は  260   なりにけるかな        なりにける哉  263   さましつるかな        さましつる哉  264   おもふ            思ふ  265   あきはてゝ          秋はてゝ      ふかなむ           ふかなん              わかへめる          わかつめる        ‖              267   しらゆきは          しら雪は                         270詞  みたまふて          みたまりて  奥76ウ あしくかきたることも     あしくかきたるとも  奥77オ いかにかゝせおはします    いかきかゝせおはします      たれかしらぬことそ      たれかしらぬとそ ★目次へ戻る★
      付記 書陵部蔵本『元輔集』(五〇一・一二六)翻刻の誤謬補正  『桂宮本叢書 第一巻』および『私家集大成 中古T』所収の『元輔集』(五〇一・一二六)には、一部翻刻の誤りが見られる。いま偶目に入ったものを補正しておく。
私家集大成本 桂宮本叢書本
 30    すみつるこやに 
 81 詞   つかはしつゝ 
 175詞   ゐていて 
 239詞   数らんはい 
 254    つきせね 
 すみつるこやに 
  
  
 数らんはい 
  
 すみつるこせよ 
 つかはしゝ 
 ゐていてゝ 
 数みらんはい 
 つきせぬ 
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Copyright (C) 1997.10.1 Toshihiro Hamaguchi