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β版
古典文学講座

『紫式部日記』の世界


■本文校訂・補注■  浜口俊裕

本文

■第27節■
 行幸近くなりぬとて、殿の内を、いよいよ作り磨かせ給ふ。よにおもしろき菊の根を、尋ねつつ掘りて参る。色々移ろひたるも、黄なるが見所あるも、様々に植ゑ立てたるも、朝霧の絶え間に見渡したるは、げに老もしぞきぬべき心地するに、なぞや、まいて、思ふことの少しもなのめなる身ならましかば、好き好きしくももてなし、若やぎて、常なき世をも過ぐしてまし、めでたきこと、おもしろきことを、見聞くにつけても、ただ思ひかけたりし心の、引く方のみ強くて、物憂く、思はずに、歎かしきことのまさるぞ、いと苦しきや。「いかで」「今はなほ、もの忘れしなむ」「思ふかひもなし。罪も深かなり」など、明け立てば、うち眺めて、水鳥どもの思ふことなげに遊び合へるを見る。
  水鳥を水の上とやよそに見む
  我も浮きたる世を過ぐしつつ
 「かれも、さこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかんなり」と、思ひよそへらる。小少将の君の、文おこせたる返り事書くに、時雨のさと掻き暗せば、使も急ぐ。「また、空の気色も、うち騒ぎてなむ」とて腰折れたる言や書き混ぜたりけむ。暗うなりたるに、立ち返り、いたう霞みたる濃染紙に、
  雲間なく眺むる空も掻き暗し
  いかに忍ぶる時雨なるらむ
 書きつらむことも覚えず、
  ことわりの時雨の空は雲間あれど
  眺むる袖ぞかわく間もなき

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