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β版
古典文学講座

『紫式部日記』の世界


■本文校訂・補注■  浜口俊裕

本文

■第42節■
 いらせ給ふは十七日なり。戌の時などききつれど、やうやう夜ふ けぬ。みな、髪あげつつゐたる人、卅余人、その顔ども見え分かず。 母屋の東面、東の廂に、内裏の女房も十余人、南の廂の妻戸へだて てゐたり。  御輿には、宮の宣旨のる。糸毛の御車に、殿の上・少輔の乳母、 若宮いだきたてまつりて乗る。大納言・宰相の君、黄金づくりに、 次の車に、小少将・宮の内侍、次に、馬の中将と乗りたるを、「わ ろき人と乗りたり」と思ひたりしこそ、「あなことどとし」と、い とどかかるありさまむつかしう思ひ侍りしか。とのもりの侍従の君・ 弁の内侍、次に左衛門の内侍・殿の宣旨式部とまでは次第しりて、 次次は、例の、心心にぞ乗りける。  月のくまなきに、「いみじのわざや」と思ひつつ、足を空なり。 馬の中将の君をさきにたてたれば、ゆくへもしらずたどたどしきさ まこそ、我がうしろを見る人はづかしくも思ひしらるれ。

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