1998.3.18 に更新しました


「税」の木簡・『論語』の木簡が出土

■「五十戸税三百十四束」と墨書した木簡の出土■

 徳島県埋蔵文化財センターは平成10年(1998年)3月17日、阿波国府があったとされる
徳島市国府町の観音寺遺跡から7世紀後半と見られる木簡が出土したことを発表した。
 この木簡は、7世紀後半の砂層から出土した。689年に制定された「浄御原令(きよみは
らりょう)」以前の税制に関するものといわれている。従来、この時期の木簡に「税」と記さ
れたものが発見されていないことから、関係者の注目を浴びるところとなった。また、『論語』
の一節が記された国内最古級の木簡(7世紀前半)も同時に発見された。
 税を記した木簡は、長さ50.1a、幅3.2a。表面に二行で、次のように墨書されてい
る。
   波尓五十戸税三百□               (□は欠損により判読不能)
   高志五十戸税三百十四束  佐井五十戸税三 
 「五十戸(さと)」は行政単位の一つであり、「五十戸」ごとに稲の束で租税が課せられた
ことが判明する。この木簡は、従来最古とされてきた奈良の飛鳥池遺跡で出土した木簡と同時
期のものではあるが、飛鳥池遺跡の木簡は「五十戸造……俵」と墨書されており、「税」の文
字を見ることができない。
 大阪市立大学栄原永遠男教授(古代史)は、「『五十戸』と『税』という文字のつながりは
古代税制の出挙(すいこ)、つまり税として集めた穂付きのイネを翌年貸し付け、五割増で回
収するという国営の高利貸制度の前身があったことを示している可能性が高い。」(『朝日新
聞』朝刊 1998年3月10日)と指摘している。


■『論語』を墨書した木簡の出土■  『論語』が記された木簡には、    子曰學而習時不孤□乎 と記されていた。この木簡は、奈良などで出土したものと同時期のもので、長さ63.5a、 幅2.5a、厚さ1.4a。   この時期、阿波国に中国文化が浸透していたことを明証する文献であるといえる。
                                                       (発見された木簡の一部分)


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