1998.9.05 に更新しました


8世紀初めの漢字の読み方を記す木簡が見つかる

木簡に万葉仮名で読み方
奈良・明日香村

 

飛鳥池遺跡から出土した漢字の読み方を記した木簡
炎ソ詩の木簡=4日、奈良県橿原市の奈良国立文化財
研究所で



 万葉仮名で漢字熟語の読み方を記した八世紀初めの木簡や、日本では最古の漢詩の書きつけとみられる七世紀後半の木簡が、飛鳥時代の工房群跡とみられる奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土した。四日発表した奈良国立文化財研究所は「当時の日本人の発音などがわかる資料はこれまでなく、大変貴重な資料だ」としている。
 漢字の発音がわかる木簡(長さ十八・七a、幅一・五a)は、八世紀初めのごみ捨て穴とみられる土坑から見つかった。クマとヒグマを表す「熊羆」、鬼の名である「蜚尸」などの熟語を記し、「熊」には「`吾(うぐ)」、「羆」には「彼(ひ)」、「蜚」には「皮伊(ひい)」、「尸」には「之(し)」など、それぞれの漢字のそばに万葉仮名のふりがながついていた。文章にはなっておらず、同研究所は、字典のようなものを書き写したと見ている。
 漢詩の木簡(長さ二十一a、幅二・四a)は七世紀後半の溝から発見された。
 表に「白馬鳴向山 欲其上草食(白馬は山に向かって鳴き、山の上の草を食べようとし)」、裏には「女人向男咲 相遊其下也(女は男に向かって笑い、山の下で一緒に遊ほうとしている)」と書かれている。対句になっているが、第二句と第四句で韻を踏むなどの漢詩の規則には従っていない。

関西弁にも同じ特徴
 小林芳規・広島大名誉教授(国語学)の話  「蜚尸」の読みを「ひい・し」と第一音節を伸ばしている点などから、木簡は当時の日本の発音を表していると思う。現在でも、関西弁で「目(めえ)が痛い」と第一音節を伸ばすのと同じ特徴だ。これまで、八世紀の日本語の話し言葉の資料はなく、大変重要な発見だ。

(朝日新聞 1989.9.5 朝刊 1面社会面 13版 を転載。)





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