2001.8/06〜08
3年生ゼミ夏合宿

in Kyoto

京都御所にて(1)

 第1日目 最初の訪問先だったね
 <雨にもまけず> 初日の笑顔には余裕が窺えるのだが……。
京都御所にて(2)

 京都では傘が必需品です
紫式部墓所にて(1)

 紫式部の墓所に関する最古の文献記事は、『河海抄』に「式部墓所在雲林院白毫院南。小野篁墓の西なり……」とある。
紫式部墓所にて(2)

 <猛暑の中での見学> 人気のスポットだが、蚊に好かれた人も多かったね……。
朝霧橋(宇治)にて
 平等院正門から「あじろぎの道」へ進み、「橘橋」を渡ると「橘島」へ出る。ここから対岸へ「朝霧橋」が架かる。渡りきった所には「宇治十帖モニュメント」がある。その先、左手奥には「宇治神社」がある。「宇治神社」は陽成天皇の宇治院離宮の鎮守とされる。
 <元気な人も疲れた人も> 川風が心地良かったですね……。
宇治橋にて
橋姫伝説  橋守の娘であった橋姫が、ある時、男と恋に陥った。ある日、橋姫が若布を食べたいと漏らしたのを聞いた男は、伊勢の海まで若布を採りに行って、溺死する。橋姫は、待てども帰らぬ男の身を案じて嘆き悲しみ、伊勢まで出かけて行くと、男の霊に会った。 ゼミ長は一人何を思う?
昼食時(宇治にて)

 <ここはロケスタジオ?> 京都の味はいかがですか?。
「通園」茶屋にて
通園  創業は永暦元年(1160)と至極古い。現店舗は江戸期の遺構を残すといわれる。利休作「釣瓶」、一休作「通園木像」「茶壺」などを所蔵する。
 <ただで団扇などをゲットした人もいたような……。>
伏見稲荷大社にて(1)
『枕草子』二六九段に「 神は、……賀茂、さらなり。稲荷。」とある
 <登る前に……> 
伏見稲荷大社にて(2)
 <手水の使い方覚えましたか……>
伏見稲荷大社にて(3)
『枕草子』一五一段「羨ましげなるもの」
 稲荷に、念ひ起こして詣でたるに、中の御社のほどの、わりなう苦しきを念じ登るに、いささか苦しげもなく、後れて来と見る者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。二月午の日の、暁に急ぎしかど、坂の半らばかり歩みしかば、巳の時(十時)ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしく、「など、かからでよき日もあらむものを、何しに詣でつらむ」とまで、涙も落ちて、休み困ずるに、四十余ばかりなる女の、……「まろは、七度詣でし侍るぞ。三度は詣でぬ。いま四度は、事にもあらず。まだ未(午後二時)に、下向しぬべし」と、道に会ひたる人にうち言ひて、下り行きしこそ、ただなるところには目にもとまるまじきに、「これが身に、ただ今ならばや」と、おぼえしか。
 <実際、中の御社まで登るのも大変でしたね……。> 
伏見稲荷大社にて(4)
験の杉  「験の杉」は「しるしの杉」のこと。参詣人が杉の枝を持ち帰り、庭に植えて枯れなければ御利益があるとされた。『蜻蛉日記』上巻に、中の御社の場面で「稲荷山おほくの年ぞ越えにける 祈るしるしの杉をたのみて」と詠んだのも、そうした俗信に基づく。
 <テレビコマーシャルでも放映される人気スポットだが、ゼミ生たちも感動していたね……>
幸千箱?
 連理の枝に願いをかけて
 
 <回れ、回れ、回れ……。何回回った? 果たして効果は……?> 
まいった。疲れた……(JR奈良線にて)
  宇治平等院、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージャム、宇治橋、夢浮橋、通園、橋姫神社、伏見稲荷大社、稲荷山登山、と猛暑の中を歩き回ったので、疲れはピークに……。このあと京都に戻り、京都文化博物館へ行きますよ。寝過ごし厳禁!
 <昨夜の夜更かしが……>
コンパ−1  陰謀?
 仕掛け人は誰だ……。 <関係者のみが知る?> 
コンパ−2  

 <食べて飲んで昼間の疲れをリフレッシュ>
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