自己紹介と経歴
◆◆◆ どうでもいい自己紹介 ◆◆◆
- 名 前
- 冨樫純一(とがしじゅんいち)
- 性 別
- ♂
- 年 齢
- 53
- 所 属
- 大東文化大学文学部日本文学科 准教授
- 専 門
- 現代日本語の感動詞、間投詞、応答詞、終助詞の類、あと、役割語など
いちおう、博士(言語学)です
- 職 歴
-
〈常勤〉
- 2005/04-2007/03 筑波大学大学院人文社会科学研究科 助手
- 2007/04-2015/03 大東文化大学文学部日本文学科 専任講師
- 2015/04-現在まで 同 准教授
〈非常勤〉
- 2004/04-2005/03 筑波大学大学院人文社会科学研究科 博士特別研究員
- 2004/04-2005/03 大東文化大学文学部日本文学科 (担当科目:日本文法論など)
- 2004/04-2005/03 東京外語専門学校日本語教師養成科 (担当科目:言語学概論)
- 2005/04-現在まで 文教大学文学部日本語日本文学科 (担当科目:日本語学基礎演習など)
- 2014/03-2015/03 埼玉大学大学院文化科学研究科 (担当科目:日本語学)
- 公開情報
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◆◆◆ どうしようもない経歴 ◆◆◆
- 1971年
誕生
- 山形市に生まれる。
オードリー・ヘップバーン、菊地桃子と同じ誕生日。
伊藤沙莉や工藤新一も同じ。
- 1987年4月
山形県立山形中央高校 入学
- 試験の時、コンパスを忘れて、数学の問題が1/4ぐらい白紙だった。
ここしか受験しなかったので、危うかった。
ちなみに最初は理系クラス。微積で脱落して文系に。
- 1990年4月
山形大学人文学部文学科 入学
- センター試験一期生。
二次試験の小論文で「そうですね」について書いてしまう。
この辺りから学問としての日本語に目覚めかける。
- 1994年1月
卒論提出
- 卒論は出したけど、卒業はしなかった(笑)。
前代未聞だったらしい。
大学で院試の勉強をしたかったので、意図的に単位数を満たさず。
- 1994年4月~1995年2月
大学院進学の勉強
- 大学5年生として在籍しつつ、院試の勉強ばかりする。
……ウソ。麻雀とゲームの日々……。
ちなみに麻雀仲間はみんな仲良く5年生になってました(笑)。
- 1995年3月
大学卒業
- 卒論提出の一年後、卒業。
奇跡的に筑波大学大学院に合格する。
未だに、なんで合格できたのか不思議に思う。
- 1995年4月
筑波大学大学院 入学
- 初めてのひとり暮らし。
つくばは田舎だなあ、と思った。
…まさかTXが完成するまでいるとは思いもしなかったよ。
- 2004年3月
筑波大学大学院 修了
- 【博士号】 キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!! 【取得】
博士(言語学)の学位を取得。
博論は原稿用紙換算で800枚強。
- 2004年4月~2005年3月
筑波大学大学院 博士特別研究員
- 修了したにもかかわらず、研究員として居残り。
研究したり非常勤したり、気ままに暮らす。
つくば生活10年目。
- 2005年4月~2007年3月
筑波大学大学院 助手
- 研究員が1年で終わって、次は助手として居残り。
生まれて初めてボーナスがもらえる身分に(・∀・)
つくば生活11年目と12年目。
- 2007年4月~2015年3月
大東文化大学 専任講師
- 講師として大東文化大学に着任。
非つくば生活に移行。
引っ越したいへんだ。
- 2015年4月~
大東文化大学 准教授
- 准教授に昇格。
埼玉生活16年目に突入。
夏暑い。
近況報告は、ブログ「
ネ言」のほうでやっていたりいなかったり。