名称未設定.jpg


Daito Bunka University
Faculty of Sports & Health Science

 大東文化大学 文学部 教育学科キャンプ 第1回(1989年)~第16回(2004年)の紹介です。

   キャンプを始めた頃は、キャンパーに伝えたい何かがあって夢中でキャンプをしていましたが、この頃は何を伝えられるのかを知る
  ためにキャンプをしている部分もあるかもしれないなぁと感じています。キャンプにはキャンプならではのよさががあり、そのよさを
  うまく用いるにはそれなりの工夫が必要ですね。だからこそ今の自分のキャンプがキャンパーにどのような効果があるのかを点検しな
  がら、よりよいキャンプをつくっていきたいと考えています。

                                                 第16回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 2004年9月7日-12日 朝霧高原(静岡県富士宮市)

H.16.jpg
キャンプで得たもの                 03114419 Y.N.



 まず一番感じたことは友達という存在。キャンプ中は班員の仲間。今回のキャンプはみんないつも仲の良い友達同士だったのもあると思うけど、キャンプを通して改めて友達や仲間の大切さを感じた。

 マウンテンバイクも登山も班の仲間なしでは達成できなかったと思う。みんなで声をだしあっていたからこそできたんだと思う。それに班内はミーティング、全体ではキャンパースピーチなど、みんなが思っていることを素直に話す時間があったからこそ、また話している人についても知れたし、自分のためにもなった。なかなか普段は話せないことだからとてもよかった。

 あとは自然について。1日目が台風でテントがふっとぶんじゃないかと思うほどの雨風の中で寝たり、マウンテンバイク、登山でふれた自然は確実に自分に影響を与えている。

 自然についても、自分と友達についても、まだまだ考えがまとまりきらないのでハッキリと説明することができないけど、例えば今まで自然についてここまでふれたこともなかったから、キャンプが終わった今、ちょっとしたゴミを捨てる時にもなるべく自然に影響を与えないためにはとか考えることもあったり、このキャンプが自分に確実に影響を与えていると思う。

 考えをまとめたいけど、そこからまたどんどん発展して考えていってしまう。むしろ、このままずっと考えつづけていくのもあり、というか、考えつづけるものなのかなと思う。

 このキャンプを通して得たもの、新しく発見するというよりも再認識の方が多かった気がするけど、何においても考えるという行為は必要で、考えるから成長するような気がします。何かを体験して体験したままにするのではなく、考えるから自分は大きくなれるんじゃないかと思いました。

                                                 (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第15回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 2003年9月10日-15日 朝霧高原(静岡県富士宮市)

H.15.jpg
キャンプで得たもの                02114019 Y.F. 


 キャンプで得たものは多く、大きく成長できたと思う。

 マウンテンバイクや登山で自信がつき、最初から駄目かもとあきらめないで、やってみようと思うようになった。できないならその原因を取り除けばいい。

 その影響もあり、やりたいことが増えた。やりたいと思ってそのままになっていたことが、たくさんあった。カウンセラーにやりたいと思ったときすぐ取り掛かる瞬発力が大事だと言われ、始めようと思っている。自分の進む道はたくさんあって、回り道かもしれないけれど、無駄じゃない。

 キャンプであまり話したことのない人と同じ班になり、いろいろ話した。とてもいい人ばかりだ。はじめから壁を作らないで、もっと多くの人に、出会いたいと思う。

                                 このキャンプで、いろんな面において幅が広がった。それが普段の生活に                                戻って、以前と同じになってしまわないように心がけている。


                                                 (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第14回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 2002年9月10日-15日 朝霧高原(静岡県富士宮市)

H.14.JPG
キャンプで得たこと                01114173 Y.O.


 他人を素直に認められるようになったこと。今まで認めていなかった、というわけでもありませんが、そこまで人を感じ、考えることがあまりなかったなー、と思いました。日々いろんな人と会い、接しているにも関わらず、ただ何となく過ごしてしまっていたなー、と。

 このキャンプでは一緒に食事をつくり、食べ、夜はいろんなことを話し、またMTBツーリングや登山では、その人の強い部分、弱い部分が垣間見えたと思います。そんな5泊6日を共有して、強いから良い、弱いからダメ、というのではなく、その人のありのままの姿を文字通り認められるようになったのではないかと思います。

 それと同時に、自分人のことも認めるというか、もう少し自信をもってもいいかな、と思えるようになりました。私は、人の目が気になって変に気を遣ったり、できるだけ自分が目立たないように、とか、無難に無難に、人の目を窺いながら生活してきたように思います。でもキャンプではそんなこと言ってる場合ではなく、まず自分ありき。中途半端に人に合わせようとしても自分が辛くなるだけ。それは毛無山登山のときに強く感じました。人に合わせて自分が辛くなる、というよりも前に、まず人に合わせることができなくなってしまったのです。それがはっきりしたのがくだりのとき。高所恐怖症で、下が遠くまで見えると怖くて足がすくんでしまい、みんなのようにどんどん進んでいくことができず、一歩一歩確かめながら、少しずつ歩くことしかできませんでした。

 最初は自分のところで列が途切れてしまうのがすごく気になり、でも自分
の中ではそれ以上どうにもできず、ジレンマとなっていました。そのときは、少しでも前の人に追いつけるようにと一人で頑張っていました。

 でもそんな私に気付いてくれた班のみんなは、前を行く人は気にしながら進んでくれ、後ろにいる人は「ゆっくりで大丈夫だよ」と、声をかけてくれました。怖い気持ちは変わらなかったけど、その一言で気分はすごく楽になりました。それからは「一人」というよりも、班のみんなに助けてもらった力で頑張れたように思います。

 登山を終え、自分の弱みを恥じて気にしてばかりいるのではなく、その弱みを含めた自分を知ってもらうことが大切なんだと思いました。そのためにはまず自分自身がありのままの自分を認め、ある意味自信をもつことが必要なのだと思いました。できないことに落ち込むのではなく、できないなりにどう楽しむか、そういうことを考えられるようになれば、もっと気楽に自分の弱い部分も受け入れられるのかなと思いました。           
                                                (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第13回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 2001年9月11日-16日 朝霧高原(静岡県富士宮市)

13.img014.jpg
キャンプを終えて                 00114083 M.A.


 朝霧でのキャンプは全てが challenge だった。しかもそれは物や人ではなく「自分」へのものだった。普段の学校生活の中で自分に challenge するということはほとんどなかった。だから初めは、ただ朝霧に来て、環境の変化にうかれているだけだった。

 それが変わったのは2日目のマウンテンバイクツーリングからだった。行きと帰りはまるで天国と地獄だったけど、全てが初めてで、ずっとワクワクしていた。石がゴロゴロしている急な坂を気付いたら下りていた。なんかちがう自分がいるみたいだった。帰りの長い長い登り坂では、誰かが降りたら自分も降りようと思った。いつもの自分がいた。坂を上っている間、ずっと気持ちが戦っていた。そして、自分のことを確認できたときでもあった。 

 3日目、お好み活動では、私のやりたいことばかりだった。この日は、すごくみんなと話をしたいと思った。キャンプに来た私を含めた9人は、知っている人もいたけど、会ったらあいさつするぐらいだった。スタッフの人たちは出会って3日しかたっていないし、先生だって今まで授業でしか会っていなかった。だからもっとみんなのことを知りたいと思った。絵をかいて、ケーキを焼くのを手伝って、お茶をのみ、写真をとり、絵本を読んだ。そしてとても良い本と出会うことができた。思わぬ出会いだった。そしてこの日 はスタッフ、先生の人を楽しませるという力と技に驚き、感激した。
今回のキャンプで私にとって大きな challenge になったのは毛無山登山だった。体力には少し自信があったつもりだったから、こんなに苦しむとは思わなかった。頂上に着いたとき、うれしかったけど天気も悪いし、もう疲れもピークだった。大雨でキャンディー(簡易シェルター)もぬれ、もうビバークは無理だと思った。そしたらみんなが雨の中手伝ってくれると集まってくれた。本当にうれしかった。結局ビバークは途中で断念したけど、すごくいい体験をしたと思った。そして朝の富士山は本当にキレイだった。言葉にならなかった。一生忘れないと思う。そして、みんなにもらったたくさんの勇気も私の大きな力になった。
夜、みんなとたき火をかこんで話をしていたとき、私は「帰りたくない」 と言ってしまった。すごく後悔した。それは私が前に進めないから。ただ帰った後の現実と向き合いたくなかっただけだから。一緒にキャンプに来たみんなの話を聞いていたら涙があふれてきた。みんなが「みんなのおかげで... 」と言っているのを聞いて、みんなの中に自分がいるんだなと思うとうれしくてうれしくてたまらなかった。このキャンプで、自分の中の8人一人 ひとりの存在がとても大きくなっていたことを感じた。         

                                                (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第12回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 2000年9月12日-15日 清里高原(山梨県北巨摩郡)

12.img009.jpg
キャンプの感想                99114180 Y.K. 


 こんなに自然のなかで過ごすことってなかなかないと思う。寝袋で寝ることも初めてだったけれど、くるまって寝るのがなんだがよい感じで気に入った。それから、3日間森の中にいて、いろんな音を聞くことができた。ハイキングの時、遠くからでも聞こえた川の流れの音、木が風に揺れる音、小鳥のさえずり... 。目をとじると耳がとぎすまされて、本当に自分も自然の一部になったみたいに気持ちよかった。どこまでも続く緑の中に注ぐ木漏れ日、ほんときれいだった。

 私はボランティアで小学生と遊ぶスタッフをやっている。今回は逆に、私たちにスタッフの人がついてくれていたので、甘えが出てしまった面もあると思う。自分がスタッフの立場の時に思っていたこと、どこまでスタッフが口を出すか、どこまで手を出していいのか、ということを同じように、うちの班のカウンセラーも考えていたと言っていた。スタッフではない立場をやって、また、カウンセラーの人たちと接することで、これから自分が子どもたちとどう接していくか参考になった。

 カウンセラーも言っていたことだが、人は生きていくうちには、いろんな出会いがある。一生のうち人はどのくらいの人と会うのだろう。少しなにかが違ったらここでこうして出会わなかったかもしれない。ひとりの人と会うことで、なにか得られるものがあるかもしれない。

 出会いとは運命だと思う。今、自分が置かれた立場も、ここにいることで出会った人も、みんな運命なのだろう。森の中でひとりで考える時間に、ここにいることも運命だなあと感じた。ひとつひとつの出会いを大切に、そしていい出会いだったと思えるように行動していきたいと思う。

                  (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第11回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1999年9月9日-12日 清里高原(山梨県北巨摩郡)

column1.img016.jpg
キャンプを終えて                 98114174 T.S.


 今回キャンプをしてまず感じたことは、とてもゆったりしていたことでした。小学校のときにしたキャンプでは、一日の活動がもっと多くて次々に活動をこなしていく感じで、休んだりぼーっとしているひまはなかったと思いました。その時のキャンプは1泊2日で、今回は3泊4日、一概にくらべることはできないかもしれないけれど、今回のキャンプでは活動と活動の間に間があり、その時間に今やった活動のことを考えたり、人と話をすることがとても楽しかったです。

 でも、もし以前のキャンプにあいた時間があっても、昔の自分では何も考えられず、時間をもてあますことになってしまうような気がします。すこし年をとった今だったら、あいた時間を有効につかうことができたのかなと思います。キャンプには年齢やその集団の個性にあった形式があるのかなと思いました。

 もう一つ感じたことは、けっこう自由だったなということでした。何をやるときでも、あまり細かい指示があるわけではなくて、班の中で話し合い活動を行っていく。だからどこの班でもやることは同じでも、やり方が違っていて、その班の特色がでていたように思いました。他にも時間に余裕がありその間、好きなことができたのも自由さを感じた一因だと思います。

 班に1人カウンセラーがついてくれたことも、すごくためになりました。あまり人数の多くない中に1人のカウンセラーがついてくれたので、質問に 詳しく答えてもらうことができました。キャンプについての知識がついたと思います。また、班のまとまりもよくなったと思いました。

 静思(1人で静かに思う時間)もおもしろい活動でした。その中でキャン プって何だろうって少し考えてみました。その時思ったことは、自分はいろんな物、人から幸せをもらって生きている。キャンプはそれを確認させてくれるということでした。

 ハイキングの時にやったゲームでは、目をつぶることで今まで聞こえなかった鳥の声、前の人の水筒の音、土を踏みしめる音が聞こえてきて、また 今まで感じなかった太陽の暖かさ、草のふわふわ感、風を感じることができました。それと同じように普段は気にもとめない雑草が、キャンプで草原としてみることで与えてくれる感動、気持ちよさ。いつもあたりまえだと思っ ているシャワーからお湯が出てくることへの喜び、そして、それをわかちあう人のいる幸せ。そういったことをこのキャンプでは教えてもらいました。 そしてその受け取った幸せを、今度は自分から人へ、自然へかえしていかなければいけないと思いました。

 今回のキャンプでキャンプが楽しいことは分かった。まだキャンプについて知らないことばっかりだし、人と話すことも普段とあんまり変わらなくてキャンプ的な考えがあまりできなかったので、今度はそういう目的をもってキャンプをしてみたいです。

                                                 (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第10回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1998年9月11日-14日 清里高原(山梨県北巨摩郡)

10.img008.jpg
キャンプと歌                  97114109 M.S.


 清里のキャンプでは、新しい発見、体験をたくさんしました。その中の1つが歌のすばらしさを改めて感じたことでした。

 歌を歌うことは前から好きでした。でも、あのキャンプをきっかけに歌の歌詞の意味をじっくり考えるようになりました。それまでは、どちらかというとリズムやメロディで歌のいい悪いを決めていたような気がします。とろこがキャンプに行って、あの他には全く音がしない中で自分たちの声だけで歌を歌うと、どうしても歌詞の内容が頭の中をめぐります。前から知っていた歌でも、キャンプで歌って改めてその歌詞の意味を知った歌もありました。

 いい歌だけでなく、おもしろい歌もたくさんありました。『キャンプのおまじない』は初め、カウンセラーたちがあの場でアドリブで作った歌だと思っていました。でもとても元気が出る歌でした。『ツンバラリツンバ』はよく意味がわからないけれど、なぜか引きつけられるものがありました。最後がきれいに終わったときのあの一瞬の間がたまりません。

『ズンゴロ節』はカウンセラーに教えてもらったときは、簡単なお遊戯ぐらいにしか思っていなかったのに、キャンプファイヤーであんなにみんなでまとまって楽しく踊れるなんて驚きました。今でもたまに1人で踊ってしまう自分が怖いです...。

 そして一番印象深かったのが『小さな約束』です。この歌はキャンプで初めて知りましたが、歌詞がキャンプで仲良くなった人たちのことと重なって、胸にぐっときました。この歌はもし私が先生になったら、絶対に子どもたちに覚えてほしいです。

 歌を歌うとあのときのことがふっと頭に浮かびます。これからもきっと急に思い出してソングブックを開きたくなると思います。すてきな歌をありがとうございました。
                                                 (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第9回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1997年9月10日-13日 清里高原(山梨県北巨摩郡)

09.img011.jpg
キャンプを終えて     96114199 S.N.


 先生の「あと一日ここにいたいと思う人」という質問に私は手を挙げた。本当にそう思った。そこは薄暗くてしめっていて、森の中独特のいいにおいがした。空気自体違っていたのかもしれない。そんなキャンプ場を舞台としたこのキャンプは、私に忘れかけていたことを気付かせてくれ、夏休みの最後にたくさんの思い出と感動をくれたと思う。

 実はキャンプまでかなりの期間があったせいか、行くのが面倒くさく感じてきていた。一日目ラッシュに遭遇、重い荷物は周囲の人々の冷たい視線がそそがれた。池袋−新宿間で私の頭の中には『帰りたい警報』がけたたましく鳴り響いていたと記憶している。

   また、清里で3日間ずっとテントだと今さらながら知り、愕然。お風呂に一日しか入れないことを思い出し、再び帰りたくなった。しかし、3日目の夜、ミニキャンプファイヤーの炎を見つめながら、明日帰るんだと思うと目が熱くなってきたのも本当だ。

 一日目、来るまでと来たときはかなりブルーだったが、タープを張ったり(私はイスを運んだぐらいだけど)、ビーフシチューを作ったり(このときも米をといだぐらいだけど)、歌を歌ったりしている中、げんきんな私は最初の不満も忘れ、寝袋を「臭い臭い」言いながらも起床まで爆睡していた。

 二日目はハイキング。森の中を目隠ししながら歩いたことと、そのあとの絶景、そしてソフトクリームの味は忘れられない。

 三日目はお好み活動と料理博。お好み活動ではオカリナに挑戦。また、麻ひもでつくった馬の馬主にもなった。作っていないのにパンをいただき、弁論していないのに弁論喫茶にいすわっていた。料理博では我が班は男の子が活躍していた。自分の父親を台所 に立たすと見ていられないのを思うと、今時の男の子って何でもできるんだなぁと感心してしまった。

 この三日間で感じたこと、得たもののそれぞれの割合は人によって異なるだろう。私は二日目のハイキングで森の中を歩いたことが最も印象的だ。途中でアゲハチョウの幼虫一匹のために足をとめた。幼虫なた。私たちはほっとけば大人になるにしたがって自然から遠ざかっていくのかも知れない。この日出会った幼虫のいのちの存在を大切にしている人はどれくらいいるだろうか。

 大人になるにしたがって人は知恵を身につけずるくなる。その代わり、大切なことを忘れてしまうのだと思う。この世に存在するのは人間だけではないことを小さな幼虫は思い出させてくれた。都会に住む現代の子どもたちは自然からすでに遠ざかっている。私は現代の社会の中では失われがちな子ども本来のその子どもらしい目を、いつの時代もどんな社会の中でももち続けて欲しいと思う。だからキャンプのような行事で子どもたちが自然にふれることはとても大切であると感じた。キャンプに参加することは大人の私にでさえたくさんの感動を与えてくれたのだから。
                                                                                                                  (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第8回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1996年9月10日-14日 清里高原(山梨県北巨摩郡)

08.img012.jpg
キャンプを終えて                 95114099 R.K. 

 清里でのキャンプは私にとってとてもいい思い出になりました。思い出してみるといろんなことが心の中に残されていました。4泊5日のキャンプを私は自分なりに充分に楽しむことができたと思っています。キャンプのおもしろさが実際によく感じられたように思います。あんなに自分がいろんなことを感じて何かに気がついたり、楽しんだり、という気持ちになったりできたことにびっくりしています。

 キャンプは不思議な魅力をもっていて、子どものころも今も同じように心を開放的にしてしまうようでした。しかし、子どもの頃連れていってもらったキャンプとは違ったおもしろさを見つけ、全く違った楽しみ方ができたように思います。

 キャンプの間、何となく普段の生活を見直していて、離れてみると感じることがたくさんありました。普段、失っているものや、必要でもないいろんなものがあるように思えました。自然の中で少しでも自然に近づけたのでは
ないかと思います。

 いつもいつも見たり聞いたりしているのに全く意識していなかったことに静かな場所で自然を感じていると気づかされ、少しショックを受けました。足元の小さな世界を見つめたり、広くて大きな景色の中にいると、それらのものが調和した世界に人もいるのだなと思い、人間にしか目を向けていない自分の世界がとても狭いものかと思いました。鳥の声や風の音など自然の美しさを、そのまま美しいと思えることが少しできたことがうれしかったです。自然のことを自分は本当は何も知らないのかもしれないなと思いました。

 いつもより多い自然の中にいると、それだけで心が落ち着くのがよくわかりました。1つ1つが新鮮で、何かを見たり聞いたりすることがとても楽しく感じられ、なぜかちょとしたことがおもしろく感じられました。
                                                                                                                  (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第7回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1995年9月12日-15日 清里高原(山梨県北巨摩郡)

07.img013.jpg    よかったこと           94114191 K.S.


    反省するべきことが ひとつもなかったわけじゃないけど
    よかったことを思い出してみよう

    いつも私が探していたのは
    ぽけーっと空を見た時

    自分の視界に空以外の何かが
    入ってこない場所だった

    いつもいい空の日にそれに気づくと
    必死にまん中に行って空だけ見ようとするけど
    空だけにはならない

    “キヨサトノソラ”は大きくて空だけだった
     よかった

                                     それからずっと前に制服で自転車で夕方の学校帰りに                                           ひとりきりでおかしを食べながらウォークマンを聞いた                                          こもれびの森という森の切り株を思い出した
    
                                     ひとりきりで歩いた“キヨサトノモリ”は    
                                     本当にサクサクして風がよかった

                                     でもひとりきりで歩いている先に誰かがいて
                                     私の何歩か後を誰かが歩いてたから    
                                     気持ちよく ひとりきりになれたのかも知れない

                                     みなさん いろいろどうも ありがとうございました
        
                                             (1995年度 キャンプ記録集より)


                                                 第6回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1994年9月11日-15日 朝霧高原(静岡県富士宮市)

06.img007.jpg
キャンプを終えて                  93P045 Y.Y.


 はじめ、班別に分かれたときには顔も名前も知らなかった人と、キャンプを通して互いの存在を確かめあうことができた。その人が何かを“する”ことによって、その人がどんな人なのか何となくわかるから不思議だ。

 5日間みんなといてうれしいこと、楽しいこと、イヤなことも自分一人のものではなく、みんなのものだったのだなぁと改めて思う。このことはキャンプという、生活しようとする基本的なそして必然的なものから生まれたから、何となく暖かい。心が生きようとすることに集中できるような感じがした。

 食べること、住むことに対する、そして、そばに共に生活する人がいることの喜びを 普段感じられなかったようなことを感じることができた。本当にキャンプに来てよかった。

 自然の中で暮らすのは都会のように便利ではなく、ちょっと大変だと思う
けど、得られるものは大きいと思う。これからももっと自然にふれていきた
い。そして大切にしていきたい。                    
                  (キャンプ事後レポートより抜粋.)


                                                 第5回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1993年9月16日-20日 朝霧高原(静岡県富士宮市)

05-1img005.jpg
「女の子は登山についてかきたい」          92P012 T.O. 


 女の子が山に登ることにしました。 
 迷った末に決めたんです。 
 女の子は気付きました。 
 女の子は自分ひとりだということに。 
 女の子は強気になって腹をすえた後、ため息まじりに
 ヘソを曲げました。
 わかるかしら? この乙女心。登る直前までくり返してました。

 女の子は登りました。 
 最初に先頭を。余裕の足どりで。 
 女の子は登ります。 
 声を出すのもいやになってきます。しんどい。 
 女の子は登り続けます。クタクタのフラフラでハァーハァーいっている。 なんかバテてる。 

                                 女の子は考えます。
                                 なんでこんな思いしてまで登っているのか。でもそんなことを  
                                   考える余裕がみんな足にいってしまうので、マッシロケ。
                                 女の子はそんなうちに頂上に着いたんです。
                                “あれっ?もう。”というのがホント。いっぱい飲んで食べてしゃべる。

                                 女の子は山をくだっていきます。
                                “枝ちゅう”“がんすべちゅう”“デンちゅう”楽しすぎ。いっぱいでる。

                                 女の子はふもとに着きました。
                                 顔を洗ってふく時にフッと山を見上げました。
                                 その瞬間ーーー  

                                 女の子は登山についてかきたい。
                                 らくなものだとはいわない。それどころか大変なくらい。
                                 でも女の子は登山についてかいてしまう。
                                 山に登ってよかった。好きになってしまいました。

                                 女の子は考えました。
                                 山にあんなにしてまで登った理由。迷った末に決めたホントのこと。
                                 女の子はよくわかりません。
                                 でもこうして登山について書いちゃってることがその答えなのかな。

                                 女の子は幸せです。ありがとう毛無山 ♡◎                 

                                                (1993年度 キャンプ記録集より)


                                                 第4回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1992年8月28日-9月1日 嬬恋高原(群馬県吾妻郡)

04img004.jpg
〜8/29の日記より〜                91P121 M.H.

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 登ったぞ!! 四阿山♪ もーう すっごいカンドー。途中 何度もやめよーかと思ったけど 後悔するってわかってたから がんばった。ものすごく辛かったけど私もやればできるんだなーって 実感しました。班のみんなのおしゃべりや風や花が支えてくれた...本当にありがとう! 眺めはサイコーでした。シャワー 気持ち良かったぁ−♥
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

■ キャンプの思い出 selection ■ 
 ★ 初めての寝袋での睡眠
  (でこぼこ地面が痛かった.みの虫状態) 
 ★ 料理コンテストでまるごと煮こんでしまったキャベツ
  (うまいんだなっ、実は!) 
 ★ “ヴェ~~”としかならなかった草笛
  (鳥のさえずりに答えたかったのに...) 
 ★ 山をまるごとかこんだ稲妻
  (こわいけど 迫力あって とてもキレイ) 
 ★ 光に集まる虫たち
  (ガ がちょっと... 燃えているのにはビックリ) 
 ★ ひとときの満点の星空
  (もっと見ていたかったのに...)

 ★ 男の中に女がひっとり〜♪
  (3班の皆さん、親切にしていただき、ありがとうございました♥)                               ーーー これはほんの一部です ーーー 

 初めてのキャンプは 思っていたよりもハードで辛いときもあったけれど
いろいろと勉強になりました。参加できてよかったと、今は心から言えます。                       

                  (1992年度 キャンプ記録集より)


                                                 第3回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1991年8月28日-9月1日 嬬恋高原(群馬県吾妻郡)

03img003.jpg
    想うこと           90P024 A.G.  


    大地に立って想うこと
    どこまでも続くこの大地     
    生命の母 私たちの基地   

    風を感じて想うこと   
    はるかな地をめざし 自由に駆けまわる      

    森の中で想うこと      
    たくさんの友だちに囲まれて      
    楽しいおしゃべり

    水に触れて想うこと  
    澄んだ瞳 凛とした心   

                                    山に登って想うこと      
                                    動じぬ強さ 見守るやさしさ    

                                    星を見つめて想うこと      
                                    誰もが持っている 自分だけの輝き    

                                    空を仰いで想うこと     
                                    全てを包み込む 愛する人を思いだす   

                                    火を囲んで想うこと                                                         大きな火をつくる                                                          私もひとつの薪になる                    

                                           (1991年度 キャンプ記録集より)


                                                 第2回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1990年9月8日-12日 嬬恋高原(群馬県吾妻郡)

02img002.jpg
Soloビバーク                     89P182 N.S.


 一番の心配は朝露だっ。ビニールシートを巻きつけて寝れば大丈夫だろうか。実に不安だ。

 おお、みんな行くことにしたのか。うーん、3班はなかなかやるなァ。我が班として嬉しいことよ。それにしても寝袋だのなんだのとかかえて、待っている姿はまるで家出少年少女だわ。とは言え真剣な顔つき。

 カウンセラーを先頭にグラウンドに向かう道は、何か不思議な世界への旅の道だ。風が吹きっさらすグラウンドは大きな暗やみ。ライトを照らし、何処に人がいるかいないか確認しているカウンセラーの表情は、とても慎重で注意深い様子。ああ、静かなる興奮が風と一緒に押し寄せてくるわくるわ。注意事項を聞き、闇の中にみなが散らばっていく。おお、私も行こう。

 何処にしよう、誰もいないところ... グラウンドの真ん中かな、ここは。草が少しあるし、この辺にしよう。か、かぜが強いのう。これではビニール
シートが吹っ飛んでしまうわ。それに長ぐつを脱ぐとくつの内側がぬれてしまう... うーん えーい長ぐつをはいたままだっ大丈夫かな、

 おお、こんなことをしていると朝になってしまう。早く寝袋をセッティングせねば。こうしてっと。ビニールシートもかぶせて、あぶないっ!飛ぶところだった...  はじに折り込んで入れてっと。ろうそくは使えんな。残念。よし、と。あー星空きれいだな。みんな空みてるかな。いろいろあったこのキャンプ...(この辺で眠りに入ってしまった)。But! 首が寒い!この強い風ではこごえてしまう。みの虫になるしかない。寝袋にもぐり込み、頭の上のひもをちぢめたら、あたしゃすっかり夢の中...。

 ヒューヒュー風の音に目が覚めてみたら、ちぢめた寝袋の口から光が!! 空はうす暗い青。あたしはグラウンドで寝ていたんだァ。なんか妙に実感がわいてくるのは、いも虫のようなものがグラウンドのあちこちにころがり、自分の姿を見直してしまったからかな...  そしてそこで私が見たものは、なんと、グラウンドのはじから真っ赤な、真っ赤な、それはそれは美しく神秘的な太陽だった。ああ朝はこうやって訪れるのよ。一日の始まりがまさにこの瞬間から動き出すのよ。誰がなんといおうと私のSoloビバークはこの太陽だ。

 もうあんなに広い寝床に寝ることはないんじゃないかと想いながら、東京で夜明けを見るたびに私はあの太陽に飾られたSoloビバークを想い出すことでしょう。そうそう最後のつけ加え。目覚めたら私の寝床のまわりには、あざみが咲き乱れていたっけ。                         
                                                 (1990年度 キャンプ記録集より)


                                                 第1回 大東文化大学 文学部 教育学科 キャンプ

 1989年8月30日-9月3日 嬬恋高原(群馬県吾妻郡)

01img001.jpg
キャンプ生活を体験して               63P061 M.Y.


 キャンプ生活は体験と実践の連続でした。そしてそれにはいつも感動が伴っていました。

 設営、食事、登山などの野外活動のどれをとっても一人の力では解決できないことばかりでした。目標達成まで協力し助け合って成し遂げて連帯感が生まれ、信頼が深まりました。慣れない生活を共にするには、創意工夫し、役割を果たし合わなければならない。集団の一員としての自覚を持ち、自主的な態度も必要です。自分は率先力を欠いていたと思うし、どれだけ班に貢献したかということも自信ありません。役割を果たすことは生活のためだけでなく、仲間との相互理解においても意味をもつものだと思いました。自然の中での生活は、誰もが未知のことだから共感し合うことも多く、協力強調の喜びや大切さを教えてくれました。

 登山は山と自分との闘いでした。気が付くと山と一対一で向かい合う自分がいて、そこには自分だけの自由な空間があり、それは試練の場でした。山から見ればちっぽけな、苦痛に必死に耐えている自分の姿を想うと、自然の偉大さ厳しさを感じずにはいられませんでした。自分の限界まで頑張り、乗り越えて登りつめたときには喜びと満足と解放感が返ってきました。やり遂げたい欲求に自ら応えた実感がありました。

 自然の中で自然を活用しながらキャンプ生活をし、自然のもつ偉大さ美しさに直接触れてみて、人間と自然との調和、自然と共存することの意義を考えさせられました。日常の生活圏から距離的にも心情的にも離れ、失いつつある自分自身や感覚というものを発見した気がします。人間が本来もつ感性が養われ生かされる場として、自然はそういう力を持っているものだと想いました。                                                                                                                                        (1989年度 キャンプ記録集より)


ページの先頭へ