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キャンプで歌を歌うこと

 10年ほど前の9月上旬、キャンプ初日に台風の襲来を受けたことがありました。暴風雨の影響で設営や野外炊事もままならず、1日目からキャンパーの身も心もずぶ濡れになってしまいました。夕食も後片付けもかなり遅れましたが、予定していた夜の集いを少しは雨風をしのぐことのできる水場で実施しました。ご存じの方もいると思いますが、台風には○○号という番号の他に、アジア各国の動植物や自然にちなんだ名前がついています。何とその時の台風18号の名前はソングダー(Songda:北西ベトナムにある川の名前)、思わずニンマリしてしまいました。そのことを集いのはじめにキャンパーに話し、「ソングダー(台風18号)にはソングだー!」という感じで歌から集いを始めてみました。何を歌ったのかは覚えていませんが、たぶん元気が出るような歌で「台風なんかに負けるもんか!」的なノリで歌ったと記憶しています。みんなで声を合わせていくうちに、何となく楽しい気分になったり、台風に対する開き直り感のようなものも出てきて、キャンパーの不安も幾分解消された気がしました。歌を歌うことで、台風に散々な目に遭わされて盛り下がってしまった気持ちを切り替えることができたのかもしれません。

 キャンプで歌を歌うことの意味は、歌い手たちの気持ちをつないだり、落ち着かせたり、時に奮い立たせたりする、そのようなきっかけを与えてくれる、そんなところにあるのではないでしょうか。歌を歌うとそれだけで雰囲気が変わったり、歌声を合わせることによって一体感が出てくることは、よくあると思います。 歌うという行為が何かのスイッチをオンにしたり、場合によってはオフにする契機を提供してくれる気がするのです。

 故 笠木透さんの『FOLKS SONG BOOK』の中に、小泉文夫フィールドワーク『人はなぜ歌をうたうか』(冬樹社:1984年)のことが書かれています。そこでは東南アジアの首狩り族の話が紹介されています。

 彼らは首狩りに行く前に合唱を行う。まず老人がウーと歌い出すと他の人たちがウーと音を出し、うまく調和するかどうか聞いている。しばらくすると今度はその老人が違う音を出す。それにまた他の人がついていく。ハーモニーがうまく合えば、みんなの気持ちが合っているのだから首狩りに行こうということになる。しかし、ハーモニーがちゃんと合わない場合には、首狩りに行っても逆にやられてしまう(向こうだって首狩り族)。相手をやっつけられるか、自分たちがやられるか、その占いとしての願いも込めて歌を歌う、というのです。

 部族の存亡をかけて歌を歌うというのはかなり特殊な状況ですが、キャンプの場面でもチームワークを確認したり、仲間意識を高めて事に臨むために、あるいはその他のことを意図して歌を歌うのもありかなと思います。ただその際、歌う意図を前面に押し出しすぎたり、強引に歌わせるのではなく、まずはキャンパーが主体的に歌うことができるように配慮することも大切です。意図したことは後からついてくる、くらいに考えておいたほうがよさそうです。もちろん首狩り族よりもはるかに気楽に歌ってほしいものですが...。

 上述のキャンプとは別のキャンプの話になりますが、キャンプ後しばらくしてからの感想文に「歌を歌うと今でもあのときのことがふと頭に浮かびます」というコメントがありました。歌がキャンプの出来事を思い出させてくれるのであれば、キャンプで得られた効果をキャンプ後の日常に転化させる契機としての期待もできると思います。キャンプで歌を歌うことには、そのような意味もあるのかもしれません。

        (公社)日本キャンプ協会「キャンピング」166号より.