〜整版と木活字〜

「大東文化」第465号

 昨年末に神田の古書店より、孫星衍校注の『孫子十家注本』を入手した。取り立てて珍しい本ではないが、買い入れたのにはそれなりの理由が有る。書店の目録に「咸豊五年刊」とあったがために他ならない。清朝の刊本としては、康煕刊本・乾隆刊本・嘉慶刊本・道光刊本・同治刊本・光緒刊本など多数有るが、咸豊刊本は極めて数が少なくめったにお目にかかれない。また孫星衍校注の『孫子十家注本』は、嘉慶刊本の岱南閣叢書本か光緒時代に於る岱南閣の覆刊本かが一般的であり、咸豊刊本が存在した事など絶えて聞かなかった。そこで、研究室に配送されるや早速に巻を開いて見た所、封面を三列に区切り、右に咸豊乙卯仲冬、中央に孫子十家注、左に淡香斎捌字板とある。淡香斎が如何なる人か不明(或いは、澹香斎王廷紹字楷堂の事であろうか)であるが、咸豊五年の刊記は明記されている。
 内容的には岱南閣叢書本と同じであるが、序文の順序が異なる。とすれば、咸豊年間に於る岱南閣の覆刊本ではなく、岱南閣を基にして新たに版を起こした別行本という事になろう。更によく見て行くと、字間が一律に開いた所や文字が斜めになっている所が有り、また匡枠も付いたり離れたりしている。これは明らかに木活字版の特徴であるが、紙面を透かして見ると字面に凸凹が少なく整版の様でもある。そこで今度は中国各地の図書館の目録を調べて見ると、北京図書館に「咸豊乙卯淡香斎刊孫子十家注 整版」が蔵されているが、四川省図書館には「咸豊乙卯淡香斎刊孫子十家注 木活字」なるものが蔵されている。では筆者の入手した本は、一体どちらの本であろうか。「木活字を基にした覆刊本の整版」というのが、筆者の下した結論であるが、如何がなものであろうか。
 この様に、古書は謎解きの快感を与えてくれるが、貴重本を発見するだけではなく、謎めいた古書を探し出すのも、古書漁りの醍醐味ではなかろうか。

[目次に戻る]