〜初印本と後印本〜

「大東文化」第475号

 過日毛本(汲古閣本とも呼ぶ)の『孝經注疏』を入手した。毛本にしろ『孝經注疏』にしろ、取り立てて珍しい本ではないが、入手したのは、それが原刻初印本であったが為に他ならない。初印本は、版木が彫り上がって最初に刷った本で、端正で明白な字画を保っているが、後印本となると、字画がかすれたり版木にヒビが入ったりして見苦しい。毛本とは、明末崇禎年間に常熟の毛晉が汲古閣で刻した本の事で、「十三経注疏」と「十七史」が出されている。この本は、廣く世間に流布しており、古来誤刻が多いと言われているが、必ずしもそうではなく、原刻初印本となれば、甚だ數が少なく、その中でも封面を持つものは、極めて珍しいと言える。
 後印本の中でも、銭謙益の序を持つものは、比較的初期のものであるが、昨今よく見掛けるのは、殆ど嘉慶年間の覆刻本である。この覆刻本は、版心下象に「汲古閣」と記されているが、大概が白紙の封面を伴い、四周双辺の框枠の中を三行分割し、幅広の中央に「某々注疏」と入るだけで、明らかに原刻とは異なる。
 小生が入手した原刻初印本は、版心下象に「汲古閣」と入るのは当然であるが、原刻初印本としては、甚だ珍しい事に封面を伴っているが、その封面は、覆刻本の封面とは大いに異なり、先ず框枠が四周単辺であり、三行分割されている点は同じであっても、中央は覆刻本とは逆にやや細幅で、左右も逆に幅広の均等に分割され、右に「毛氏孝經」左に「註疏正本」と入り、中央下部に細字で「汲古閣繍梓」と記されている。巻末に在る陰刻の刊記に「歳在屠維大荒落」とあれば、己巳の年つまり崇禎二年に作られた事が分かる。刷り上がりも、初印本に恥じぬ見事さではあるが、有為転変の間に些少ではあるが虫損を生じたのは、誠に残念な事である。
 尚、封面が無い場合には、甚だ判別に苦慮する。何故なら、明末初印本自体が封面を伴う事が稀で有れば、覆刻本から意図的に封面が取り去られている場合は、原刻初印も清朝覆刻も、内容・形態・巻末の刊記までも含めて、全く同様であるからである。とすれば一般的には、封面も銭謙益の序も無いものが原刊で、封面を伴うものが清朝覆刊、と言えなくも無い。
 この様に、本は初印本が一番美しく、やはり物は須く初物が宜しい。古物の世界でも「うぶ出し」と称して有り難がる。だが初物に拘る事は、逆にそれだけ己が老いたと言う証拠でもあろう。封面の相違を御覧頂ければ明白であるが、上段が明末崇禎年間の原刻初印本で、下段が清の嘉慶年間の覆刻本である。

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