〜『玉篇』〜

雜言1

 『玉篇』とは、字書の名である。粱の武帝の大同(535〜551)年間に顧野王が、許慎の『説文解字』の部叙に飽きたらず、増広改正して五百四十二部に分け、所収文字の注訓に広く教伝を引いた字書である。しかし、すぐさま蕭トらが煩雑さを嫌って改刪し、本来の原貌は失われ、更に唐に至って増損が行われ、上元元年(760)に孫強が増字したものが、所謂「上元本」である。次いで宋の大中祥符六年(1013)に、陳彭年らが勅を奉じて重修増字したのが、「大広益会玉篇」で、一般的には、この重訂本が行われている。江戸時代に、林述斎が刊行した『佚存叢書』には、日本伝存の唐写本四巻本が収められており、清朝の黎庶昌は、それを孫強の増字前の『玉篇』として、『古逸叢書』に収めている。
 ここに提示する『玉篇』は、元禄四年(1691)版を天保五年(1834)に再刻した、毛利貞斎訓点の『増続大広益会玉篇大全』である。

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