〜家刻本〜

「大東文化」第476号

 先般清末の家刻本を、二本入手した。家刻本或いは家塾本と呼ばれるものは、非営業の個人が出資して印刷した出版物の事を言い、広義に解釈すれば私刻本と称する事も可能である。一つは、『平山堂圖志』である。平山堂は、北宋仁宗の慶暦八年(一〇四八)に歐陽修が、江蘇省江都県の西北に位置する蜀岡の上に建てた堂で、古来遊覧の地として有名で、清の聖祖は二度に亘りこの地に幸している。この平山堂に関する歴代の詩・賦・記・序を集め、更に蜀岡名勝全圖を附して、乾隆三十九年に趙之壁が編刊したのが『平山堂圖志』であり、小生が入手したのは、光緒九年に楚南の三五後裔である歐陽利見が、重刊した家刻本である。この書を読むと、歴代の文人達が如何にこの地を愛して、ここに良く遊んだかが分かり、巻頭に附せられた六十八葉の圖を見れば、隠棲の地たる名勝、さもありなんと思わせる。
 尚、東大の総合図書館には、この書を更に校訂した光緒二十一年の重訂本が蔵されている。もう一つは、嘉慶年間に於ける孫星衍校訂の冶城山館本に基づき、光緒十一年に呉県の朱氏が刊した、家塾本『抱朴子』である。この本は毎巻末に、「光緒甲申小春月白堤八字橋孫谿槐廬家塾」の方印と、「光緒歳在閼逢クン灘國子監肄業生呉懸朱記榮校刊」の二十一字が記されており、更に封面には、「朱氏槐廬審定」なる方印の原ツが押されている。刷り上がりも上々な十一行二十字の初印本であるが、惜しむらくは虫損に犯されている。尚、東洋文庫には同じものが蔵されている。
 所で、何か小生自身の家刻のものが研究室に無いのかと見回した所、有る、有る、小生自身が桜の版木に墨を付けて刷った、「安田宮内八幡宮太玉串」なるもの、これぞ正しく家刻本ならぬ、家刻札である。柏手、柏手。

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