〜和刻本『三國志』〜

雜言6

 日本人にその名がよく知られていて、一見何処にでも有りそうに思えるのであるが、実は滅多にお目にかかれないのが、正史『三國志』の和刻本である。と言うより正史の中では『史記』以外は和刻が少なく、概して見る機会が少ないのである。『三國志』の日本に於ける最初の和刻本は、植村藤右衛門と山本平左衛門に因る印本であるが、長沢規矩也氏の言に因れば、不可思議な事にこの初印本は全く見かけない(或いは存在しないのではないか、との疑義を呈しておられる)とのことである。
 一般的に見受けられるのは、寛文十年(1670)の刊記を付け、頭注を埋木で補った同名書肆の後印本である。次に、植村藤右衛門が村上勘兵衛に代わった後印本、更にその次の後印本は、松村九兵衛等(浪華書林)のもので、その後が松村九兵衛等の明治版で、これらは全て寛文十年の刊行年月が入っている。
 この和刻本は、明末の陳仁錫評閲本を底本としており、陳氏が何を底本として評閲を加えたか、軽々な断定は下せないが、一応明の萬暦二十四年の「叙重刻三國志」と「重刻三國志小序」が附されていることから言えば、明の国子監本と言うことになる。
 ここに提示する和刻本『三國志』は、寛文十年の刊記を持つ二度目の後印本、つまり村上勘兵衛と山本平左衛門との板行に因る『三國志』である。但し、後印本とは雖もその字様は、初印本かと疑われる程に実に明白で美しい。

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