〜通俗演義三国志〜

雜言13

 通俗『三国志』とは、所謂明の羅貫中が著したとされる『三国志演義』の翻訳本の事で、その嚆矢とされるものが、江戸の元禄二年から刊行された、湖南文山の『通俗三国志』であり、更に葛飾北斎筆とされる図贊を付けたのが、天保七年から刊行された『絵本通俗三国志』である。
 正史三国志(晉の陳壽)の翻訳が、江戸の寛文十年に和刻本三国志(これが翻訳と言えるか否か疑問であるが、一応訓点が施されていれば、翻訳と見なして良いであろう)が出されて以後は、平成元年の三国志(小南一郎等)まで、320年程の時間的開きが有るのとは異なり、三国志演義の翻訳は、湖南文山以来わりとコンスタントに公刊されて、現代に至っている。
 例えば、明治に至ると学者や文豪が陸続として『三国志演義』の翻訳を公刊し、明治では、永井徳麟・小宮五郎・伊藤銀月・久保天随・幸田露伴等が現れ、大正時代は、三浦理、 昭和に至りると、大文豪吉川英治の『三国志』が公刊され、以後は、弓舘芳夫・岡本成二・小川環樹・柴田天馬・立間祥介・蘆田孝昭・村上知行・丹波隼兵・北方謙三と続き、そして現在は、宮城谷昌光の『三国志』が公刊されている、と言う状況である。
 ここに提示する『三国志演義』は、明治十年に鉛活字で出版された永井徳麟の『通俗演義三国志』である。この本は、清朝の順治元年に出された金聖嘆批点本『三国志演義』の翻訳で、漢文訓読調の翻訳本であるが、最初に図贊40図が付けられており、図は河鍋暁斎で、贊文は伊藤桂洲と言う、当時の一流書画家に因る図贊である。

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