〜トウ版〜

「大東文化」第477号

 今を去ること略二十年程前、まだ小生が大学院生であった当時、己の無知も顧みず喜び勇んで買った本が、すぐさま駄本に変わってしまったと言う、苦い追憶に包まれた『十竹斎書画譜』が、今も我が研究室に鎮座ましましている。当時、『十竹斎書画譜』を初めとして多くの画譜類は、極めて高度な技術を要するトウ版なる特殊な方法で刷り上げられており、甚だ高価である、と言う知識だけが自分の脳裏を支配していた。トウ版とは、簡単に言えば原画の立体感や明暗を出すために、水彩画の下絵を使い、モザイクの如く色ごとに細切れの木版を作り、一枚の紙にそれぞれ色分けした回数分を套ね刷りして仕上げる、と言うものである。
 故に、上海江東書局が印行し、胡日從の模刻で張学畊が光緒五年に重校した『十竹斎書画譜』を見つけた時の驚き様、「凄い技術で高価」が支配する小生の目に飛び込んだ値段は、なんと「滅茶安」である。表紙には「五色珂羅版」と書いてあるが、「惚れてしまえば痘痕もえくぼ」である。「画譜であれば当然カラー(珂羅)だ」などと勝手に思いこみ、早速買い込んで家に持ち帰り、四畳半の部屋の真ん中で、蛍光灯の下、しげしげと眺めて見ると、何か可笑しく、言われている程美しくも無い。次の日太陽の下、日にかざして見ても、色の濃淡も薄ければ立体感もあまり無い。こりゃ一体何だ。冷静な頭で考えて見ると、「あ、これはカラー(珂羅)ではなくてコロタイプ(珂羅)印刷だ」、己のバカさ加減に腹が立つが、さりとて誰に話せようか、ああ情け無い事この上無しである。
 「生兵法は怪我のもと」とは良く言ったもので、中途半端な知識ほど厄介なものは無い。「カ」と「コ」の読み違えから、天国から地獄に行った、過去のお話でございます。

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