〜旧くて新しい本〜

「大東文化」第482号

 小生の研究室には、誠に面白いと言うべきか、歴史の徒花と言うべきか、とにかく奇妙な本が一冊存在する。今では何故それを買い求めたのかさえも定かではない。それは何かと言えば、驚く事勿れ,『共産党宣言』である。『共産党宣言』自体は驚くに当たらないが、問題はその装丁であり、唐本仕立ての木版線装本である。外見の古色蒼然たる様と本の内容とは、将に水と油の関係と言っても過言では無いだろう。ブルジョアを打倒の対象として、階級闘争を展開してきた中国で、上質の藍色薄紙を表紙に使い、本文の紙質も今より遙かに上等な毛辺紙で、更に表紙の題牋は金箔を散らした紙を用い、綴じ糸は中太の絹糸二本を使用し、綴じ端の天地は模様の浮き出た絹布があしらわれている。何と言う贅沢さ、何と言うブルジョアさ、一体誰を販売の対象としたのであろうか。
 表紙を開くと、最初に「全世界無産者、聯合起来!」なる言葉が紅色で一行刷られており、封面は、右に「馬克思・恩格斯」、中央に太字で「共産党宣言」、左に「中共中央・馬克思・恩格斯・列寧・斯大林・著作編譯局譯」と入っている。次いで目録があり、内容は最初に各国版の序言を七本並べ、その次に本文で、最後に注釈が付いている。一九七三年十一月の日付を持つ上海書画社の出版説明に因れば、「我が国の彫版印刷技術は、世界に誇れ得る伝統技術であるも、刻版の工人は寥々として、芸術的技術の湮没するのを惜しみ、木版刻印を学習する青年技術者九名を選抜し、七ヶ月をかけて完成させた」と言う。
 旧い伝統を否定して古書画や古物を破戒させたのが、文化大革命の一端であったはずである。その文革が終息するや否や、早速に伝統技術の保存発展とは、一体何をか言わんや。愚かな小生の理解を遙かに超越した本である。

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