〜版木について〜

「大東文化」第484号

 今まで十八回に亘りまして、古書の話を色々させて頂きましたが、誠に残念ながらこれ以上原資が続かなくなり、今回をもちまして本の話は、終わらせて頂きたく思います。そこで、終わるに当たりまして、今回は版本の基となりました、版木のお話で締め括りたいと思います。ご存じの如く版本は、原文を木板に彫り、それを刷り師が一枚一枚刷り、更にそれに表紙を付けて糸綴じ装丁したものが版本であります。今日の如き印刷が容易な時代と異なり、一冊の版本が出来上がるまでには、その過程に関わった名も無き彫師・刷師・装丁師などの、職人の技と努力が傾注されたものであり、当時の書籍文化の一端は、将に彼ら職人の技に支えられていたと言っても過言ではないでしょう。
 ここに提示致しますのは、江戸時代に出版されました五経正文の『礼記』曾子問第七の一葉分の版木(写真上)であります。この版木を基にして刷られたものが、『礼記』正文二の十七葉(写真下)であります。この本は、各書の最初に「洛陽雲川弘毅改定」と有るだけで刊記が無く、何時頃刷られたものか判然と致しませんが、諸本と校合致しました所、恐らく寛政十二年(一八〇〇)に出されました五経正文ではなかろうかと想像されます。と致しますと、この版木は一七九〇年代末に、制作されたものと言う事になります。二百年前の職人達は、恐らく「自らが文化の一端を担っている」と言う意識などは無く、只ひたすらに版木に文字を彫り、それを黙々と刷り上げていった事でしょう。
 とすれば我々は、古書の値段に一喜一憂するような下司な考えは捨てて、己の意に会した古書に出会った時は、只それを無心に読み、己が心を往時に遊ばす事を以て、古書漁りの無情の楽しみとすべきでしょう。

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