〜稿本と抄本〜

「大東文化」第466号

 今から数年前に台湾を旅した時、阮芝生著『春秋傳説從長』十二巻なる極めて珍しい抄本を入手した。台北のとある場所でふと小生の目に留まった本があり、手にとって眺めてみると手書きの稿本風であり、「これは稿本のサンプルとして極めて手頃である」と思い、改めて良く眺めると巻頭に清初の大学者翁方綱の序文が有る。とすればこれは稿本ではなく、誰かが写した抄本であり、しかも翁方綱の序文付きとなれば、なかなかの物である。手は汗ばみ、目は血走り、胸は高鳴り、顔は強張ってきたものの、出来るだけ平然とした風をして、値切りに値切り日本円に換算して五万円弱で買い落とした。本文も序文も同一人の手に因って写されており、味わい深い雅趣のある字体で、恐らくは清朝中期頃の人が筆写した抄本であろう。
 しかし『春秋傳説從長』なる本は、とんと聞いた事が無くて気になり、帰国後、春秋関係の目録及び漢籍の目録を色々調べても、何処にも見当たらず、阮芝生なる人物も不明で、些か困り果てていたが、『中国古籍善本書目』の中にその名を発見する事が出来た。それに因ると、この本は、阮芝生の自筆稿本でしか伝わっておらず、当然日本国内には存在しないのであり、目録類にも記載される訳など無いのである。現在所在の明白なのは、僅かに二本だけであり、一本は上海図書館蔵の自筆稿本、一本は南通市図書館蔵の張謇の跋文を伴う小方壺斎の抄本である。とすれば、我が研究室に無造作に投げ置いてある翁方綱の序文を伴ったこの抄本は、所在の明白な三本目であり、国内唯一の貴重本と言う事になろうか。
 くわばらくわばら、貧乏人が馴れぬ大金を持つとろくな事は起こらない。同じで貧乏学者は、天下の孤本など持つべきではなく、いずれ納まる所に納まるであろう。尚、明清時代の抄本や稿本は、枠や罫線をそれぞれ彩色で印刷し、その中に手書きするのが一般的で、その色に因り紅格抄本とか緑格稿本とか称するが、そのていで言えば、上段が清朝末期藍格抄本『春秋傳説從長』であり、下段が清朝後期紫格稿本『四川歴史』(著者不明)である。

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