〜色刷り本〜

「大東文化」第468号

 先般書肆の古書目録に藍(青)印本が出ているのを見つけ、すぐさま入手した。小生の手元には、この藍印本の他に紅印本及び朱刷り本が有る。朱刷り本は、校正用の最初の試し刷りと言われており、そのため一般的には朱刷り本と称して朱印本とは言わない。藍印本は、深い藍青色で雅趣に富み、落ち着いて味わい深く、元来は朱刷り本と同目的であったが、その後稀覯本などを入手した時、少部数刷って師友・知人に配布するために作られ出したと言われ、極めて趣味性の強い私的な本である。では紅印本はどうかと言えば、特別美しい訳でもなく見易くもなく、軽薄な感は免れ難く、何が目的であったのか今一つ良く分からない。
 今回藍印本を入手したのは、宋の郭祥正の『青山集』であったが為に他ならない。『青山集』の伝本は極めて稀で、宋版に至っては、現在一本が北京図書館に蔵されているが、清朝に在っても蔵書家は秘蔵・珍蔵し「まま筺笈より購う」と称され、『四庫全書』でさえも通行本を採取しているが如きである。この本は、清末に烏程の蒋氏が秘韻樓に蔵していた南宋刊本を、民国十三年に景刊した景宋七種本の中の一種で、版式は十行二十字左右双辺白口単魚尾で、版心下部に刻工者名を付した堂々たる大型本で、まごう事無き倣宋刊本の藍印本であり、しかも見開きに、西充県の白堅なる人物が、民国二十四年に上海より平安の都に遊んだ折、謹んで雨山先生の吟壇に呈したと、漢文で墨書してあり、「雨山草堂」なる印も押してある。とすれば、これを買わずして一体何をか買わんである。
 手に取って見るや否や、あまりの雅味に心は紅く燃え上がり欣喜雀躍したが、すぐさま脳中の紅色は朱色に色褪せ藍色へと変化していった。喜びに疼く心の紅さとは裏腹に、懐中は既に寒々とした藍(青)色なのである。尚、上段が藍色刷りの『青山集』で下段が朱色刷りの『李翰林集』である。

[目次に戻る]