〜道書〜

零話8

 中国の宗教である道教は、道教なる言葉が包括する範囲があまりにも広大であり、何を以て道教とするのかの基準が明白ではなく、特に明・清以降の所謂大衆的なものに関しては、何が道教的習俗であり、何が伝統的習俗であるのか、その弁別は専門家の判断を待つより方法は無いが、専門家ですらその判断が異なると言う状況で、道教の経典集とされる『道蔵』でさえ道教とは関わり無いと思われる書籍が収められている。
 因ってここでは一般的に道書として流布しているものの中から二点を提示するが、上段が大清嘉慶十六年重刊本の會心内集であり、下段が民国二年石印本の象言破疑である。

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